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言ノ葉ノ箱
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日本で初めての公園

2020/4/30

 関係を淡くすることを「距離を置く」と比喩的に表現するが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、どんな人とも物理的な距離を置く必要にせまられている。
 私が住んでいる緊急事態宣言下の東京は、たいていの場所がしずまりかえっている。道行く人のほとんどはマスク姿で黙々と歩いている。私もほとんどの時間を自宅か仕事場の室内で過ごしているのだが、それではこの連載の原稿が書けないので、千駄木の仕事場から歩いて15分ほどの上野公園に一人で行ってみた。

上野公園の大通り

上野公園の大通り

 上野といえば、いくつもの美術館や、パンダが展示されている上野動物園で知られている。海外からの観光客にも人気で、いつも多くの人で賑(にぎ)わっていた。広大な広場ではイベントもよく開催されていて、賑やかだった。春、公園内にあるたくさんの桜が咲くころは、家族連れや会社帰りの人など連日花見客でごった返す。今年の3月に桜が咲いたときにも多くの人出があり、感染拡大の観点から問題視されていた。
 だが、4月末の現在、これまでの上野とは別世界のようである。ちらほらと歩いている人はいるものの、かなり閑散としている。ぐるりと見回して、この公園はこんなにも広かったのか、と驚いてしまう。

ボードワン博士の胸像

ボードワン博士の胸像

 中央の広い通りを眺めるように置かれている胸像が目に留まった。「ボードワン博士」とある。その下の説明書きを読むと、次のように書かれていた。
 「オランダ一等軍医ボードワン博士は医学講師として一八六二年から一八七一年まで滞日した。かつてこの地は、東叡山寛永寺の境内であり、上野の戦争で荒廃したのを機に大学附属病院の建設計画が進められていたが、博士はすぐれた自然が失われるのを惜しんで政府に公園づくりを提言し、ここに一八七三年日本初めての公園が誕生するに至った。上野恩賜公園開園百年を記念し博士の偉大な功績を顕彰する」
 日本に「公園」が初めてできたきっかけは、オランダからの軍医さんだったのだ。今は日本中のありとあらゆるところに公園があり、当たり前の風景として感じていたが、150年ほど前には、公園という認識が日本人にはなかったのだ。そういえば、昭和の半ばごろまでは、子どもは路地や空き地で遊んでいるイメージが強く、公園の数はまだ少なかったのかもしれない。
 誰でも利用できる、緑ゆたかで安全な空間。性善説に基づく、人類の理想空間だと思う。でも今は、決してここに大勢で集まってはいけない。

閉園中の上野動物園

閉園中の上野動物園

 長く閉園になっている上野動物園の塀の向こうから、動物の鳴く声が聞こえる。いつも人間にじろじろ見られるばかりの動物たちは、ストレスが軽減されているだろう。人間が人間のために作った場所に、人間が閉じこもってストレスを抱えている今、動物園の動物たちのことを思うと、大きな皮肉のように思えてくる。

動物園に行くたび思い深まれる鶴は怒りているにあらずや
                    伊藤一彦
                 (歌人・作家)

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