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言ノ葉ノ箱
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路地の花々

2020/6/1

 5月25日に、新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言の解除を政府が発表した。4月初めから5月にかけての、もっとも心地がよくて草萌える美しい季節に、外出しないことが求められていたことになる。なんてもったいないことだろうと思いつつ、運動不足解消に近隣の散歩は日々続けていた。そのため、近隣の住宅で見かけた草花を撮影した写真ばかりが残っている。

木香薔薇

木香薔薇

 以前から、各家庭で丹精こめて育てられた植物を眺めるのは好きだったが、いつもの街に閉じこめられる形で眺めた今年の春の花々は、格別まぶしく感じられた。自分の家の前に植物を植えて、その生長を見守り、季節の変化を味わう。それは育てている自分自身、そして一緒に暮らす家族のためであるとともに、道行くすべての人にも楽しんでもらおうという心遣いからきているように思う。それぞれの創意工夫と遊び心とセンスが感じられる。路地に差す淡い光を浴びて、しずかに開く花々をしみじみと眺めたのだった。
 5月のはじめは、薔薇(ばら)がきれいだった。幾重にも花弁を重ねた華麗な一輪の薔薇も、小さな淡い黄色い花をたくさん沸き立つように咲かせていた木香(もっこう)薔薇も。

路地の花

路地の花

ためらひもなく花季(はなどき)となる黄薔薇何を怖
れつつ吾は生き来し
                   尾崎左永子

裂けて立つ木の名は知らずうらうらと木香薔薇の花の
なだるる             
                   花山多佳子

 どちらの歌も、花の季節を迎えて咲き誇る薔薇の花と、生きるということを結びつけている。尾崎の歌では、臆病な自分に比べてためらいなく咲く黄薔薇を詠み、もっと自分に自信をもって力強く生きたいという願いを込める。一方、花山の歌は、落雷などによって裂けたまま立つ木と、そこで花を咲かせる木香薔薇を対照的に描いている。無残な木の名前はわからない。自分の命を巻き付けて咲く木香薔薇も木の名前などには頓着していないだろう、と感じているのである。
 来るべき季節になれば、咲く花。植物にとっては多大なエネルギーを要する変化だと思うが、ためらわず咲き、ためらわず散っていく。その潔い営みが繰り返される中で、私たちの非日常の時間が過ぎていった。

路地の花

路地の花

 緊急事態はとりあえず終わったが、以前と全く同じ状態には戻らない。急速に変化し続けた社会は、急速な変化を求められている。

≪春の花々があらかた散り敷いてしまうと、大地の深い匂いがむせてくる。海の香りとそれはせめぎあい、不知火(しらぬい)海沿岸は朝あけの靄が立つ。朝陽が、そのような靄をこうこうと染めあげながらのぼり出すと、光の奥からやさしい海があらわれる≫

 石牟礼道子の「椿の海の記」の冒頭の部分である。幼い頃に住んでいた熊本県の不知火海沿岸の岬の景色を、情感豊かに描いている。雄大な風景そのものが生き物のように鮮やかに迫ってくる。これは、水俣病の原因となった有機水銀で侵される前の海の風景でもある。
 自粛期間中は、過去の様々な社会的な病を反芻することも多かった。
                 (歌人・作家)

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