サンパイオ
2020/8/21
=20日からの続き。
サンパイオと過ごした2003年シーズンは、長く苦しい戦いの日々だった。小野監督は「J1で優勝争いできるチーム」を合い言葉に、相手を圧倒する攻撃サッカーを掲げた。J2屈指の戦力で開幕から10連勝。しかし対戦が2巡目に入って、勢いは止まった。
相手に徹底に研究された。引いて守られるというJ2特有の戦術の前に、攻め手を失った。バランスを崩して攻め込み、カウンターを受けて失点した。勝ち点が伸びず、小野監督も迷走。最後は守備的なサッカーで対抗するようになる。動揺する選手たちの呼吸を整えたのがサンパイオだった。「面白くない、楽しくないサッカー。それでも、このサッカーでJ1へ行く」。あえて自らが選手の思いを代弁することで、不平不満を抑え込んだ。
サンパイオが伝えようとしたのは、信じることの大切さだった。「日本の選手は信じることを知らない。私はその大切さを知っている」。新潟、川崎と三つ巴になった昇格争い。最終盤の戦いに向け、自らTシャツをつくって、チームメートに贈った。胸には「J1復帰 それは神様の後押しによって」。選手はユニホームの下にそのTシャツを着て、重圧に打ち勝った。彼がいなければ、サンフレのその後の歴史は変わっていたに違いない。
翌2004年6月26日。日本ラストゲームはアウエー磐田戦だった。試合終了後、サンパイオは東京国際空港へと向かうため、一人タクシーでスタジアムを離れた。駅へと向かう道には、両チームのサポーターが人垣をつくり、拍手で見送っていた。その光景を見つめながら、彼が日本サッカー界に残したものの大きさをかみしめていた。
(小西晶)
あなたにおすすめの記事
記事一覧
- 応援したいから、応援に行かない(2021/1/10)
- 広島愛(2020/12/28)
- 古き良き時代(2020/12/16)
- ディープインパクト(2020/12/6)
- 最上級の「バリバリバリ」(2020/11/29)
- 同日に2020年王者決まる(2020/11/26)
- 形骸化する日本シリーズ(2020/11/25)
- 頑張れトラさん(2020/11/23)
- 原マジックはあるか(2020/11/22)
- まだまだ若い(2020/11/21)