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言ノ葉ノ箱
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解き放たれた希(のぞ)み

2020/9/29

 人には、誰かに教わることなく、好きだな、と思えることがあると思う。自分の子どもが赤ちゃんだったとき、思っている以上に好き嫌いがはっきりしていると感じた。なにかを選ばせると、即座に好きな方を選ぶし、こちらの意向などおかまいなしに、興味をもったものだけを熱心に触ったり、振り回したり、口に入れたりする。安全確認されたおもちゃよりも、ごみのようなものの方に興味を持つことがあって、はらはらさせられたこともある。
 なんでこんなものがいいのだろう、と大人は思っても、赤ちゃんの方は本能のようなところでそれをおもしろく感じているのだ。大人になる過程で、なぜそれをおもしろく感じたのか、すっかり忘れてしまうようだが。
 先日、上野の東京芸術大学大学美術館で開催された特別展「あるがままのアート―人知れず表現し続ける者たち−」を観(み)た。そこには、「好き」の原点が満ちていて、こつこつと制作が続けられた独自のアート作品に胸が熱くなった。

藤岡祐機さんの作品

藤岡祐機さんの作品

 例えば、チラシやお菓子の箱などの紙を、鋏(はさみ)で極限まで細く切り込んだ藤岡祐機さんの作品。あまりに細くてウエーブを帯びた一本一本が、毛髪のようにも、スチール束子のような金属にも見える。紙に塗り重ねられた内側の色が分離するようにあらわれ、秘めていた姿を見せてくれたようでもある。具体的な何かが表現されているわけではないが、美しさを感じ、心が動く。

渡邊義紘さんの作品

渡邊義紘さんの作品

 渡邊義紘(よしひろ)さんの、枯れ葉で折られた動物たち。井村ももかさんの、色鮮やかな布にたくさんのボタンが縫い付けられたオブジェ。B(すずき)万里絵さんの女性の身体を主なモチーフにした迫力のある点描画。古久保憲満さんの、緻密に描き込まれた架空の都市空間。澤田真一さんの、縄文土器を彷彿(ほうふつ)させるイボイボのある焼き物など。それぞれの独創的な世界観に圧倒された。

井村ももかさんの作品

井村ももかさんの作品

 NHKの「no art,no life」という番組と連動していて、制作の様子を動画で見ることができる作家もいる。皆、朝起きて、眠るまでの日々の生活の中に必ず制作に向かう時間が組み込まれ、食事をとったりお風呂に入ったり、息をすることと同じこととして、アート制作があるのだと気付く。
 展示は9月6日で終わってしまったが、特別展のウェブサイトは残っていて、作品の一部や動画を観ることができる。
 社会の片隅で、それぞれの身体の内側の繊細な心をゆっくりと解き放つように発露された絵画やオブジェの数々に、眺めるだけの私たちの心もしずかにゆるみ、共鳴する。言葉は交わさないけれど、確かな心の対話ができたと思う。

 希(のぞ)むものならば
 描いていけると
 おもう 存在は
 していなくても
                   小林久美子

 絵を描く歌人の、多行書きの一首。指先から、この世の自由な「存在」が生まれることもある。
                 (歌人・作家)

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