カープ

よみがえる熱球 アーカイブ編

  • 監督編<12>三村敏之 (2/18)

     進むべき道と、進んでいく道―。監督三村敏之の悲劇は、この二つの道が最後まで交わらなかったことであるかもしれない。「やりたい野球とやれる野球は違うということです」。現実と理想。そのはざまを歩むしかなか...

  • 監督編<11>山本浩二 (2/17)

     輝ける野球人生であった。現役時代、打撃三部門で獲得したタイトルが計八つと5度のリーグ優勝。しかし、その実績があまりにも抜きんでていたがため、監督としての山本浩二は苦しんだ。打線の中核に「打者山本浩」...

  • 監督編<10>阿南準郎 (2/15)

     「忍」。阿南準郎は、サインを求められると今でも、必ずこの一文字をしたためる。「耐え忍ぶという意味でね」。その信条を反映してか、監督時代の阿南野球は、「忍ぶ野球」と呼ばれた。

  • 監督編<9>古葉竹識 (2/14)

     11年間にわたって積み重ねた業績は球団史の中で、さんぜんと輝いている。通算3004勝のうち711勝。その裏で息づいた理念を、「耐えて勝つ」と古葉竹識は言った。耐えるとは言い換えれば、長期戦略に基づい...

  • 監督編<8>ジョー・ルーツ (2/13)

     3年連続で最下位に沈んだ広島が、現状打破の切り札としてジョー・ルーツにチームを任せたのは、1975(昭和50)年のことだった。日本球界初の大リーグ出身監督が手掛けたのは、負け犬根性を一掃し、勝利への...

  • 監督編<7>森永勝也 (2/12)

     打者森永勝也の魅力が、卓越した打撃技術にあるとすれば、人間森永の魅力は、穏やかでまじめな人柄にあるといえよう。しかし、いざ監督という立場に置かれた時、その魅力は最大の弱点となった。「厳しさ」か「情」...

  • 監督編<6>別当薫 (2/12)

     「球界の紳士」と呼ばれた別当薫の監督就任は、初優勝への基礎を築いた根本陸夫政権からの流れの中にあった。育成からいよいよ勝負へ。米国での教育リーグ参加や、初の元大リーガー獲得など、球団が満を持して用意...

  • 監督編<5>根本陸夫 (2/10)

     ここまで指揮官として歩んできた道の後には、必ず栄光があった。広島、西武。そして今季のダイエーもまた、根本陸夫が切り開いた王道を突き進み、同球団になって初の栄冠を手にしようとしている。「辣腕(らつわん...

  • 監督編<4>長谷川良平 (2/8)

     選手を育てるには、突き放して自力ではい上がらせるやり方と、いい面を褒めて伸ばしていくやり方の2通りあるとすれば、監督長谷川良平は完全に前者となる。「結果の出ない努力はしないのと同じ」を信念とし、人知...

  • 監督編<3>門前真佐人 (2/8)

     1960年に球団初の勝率5割を達成した白石勝巳が「地固めはできた。そこに立派な家を建てるのは、それにふさわしい人がいい」と言い残し、バトンを預けたのが3代目の門前真佐人だった。「機動力の養成とインサ...