カープ

よみがえる熱球 アーカイブ編

  • <1>長谷川良平 (10/9)

     1950年1月15日、広島市基町の西練兵場跡(現在の広島県庁)で行われた広島カープの結成披露式には、約2万人のファンが詰めかけ熱気に包まれた、と当時の中国新聞は伝えている。その時、お披露目されたナイ...

  • <2>白石勝巳 (10/9)

     初年度の広島は、言ってしまえば寄せ集めのポンコツ軍団。スター選手と呼べたのは、巨人から譲り受ける形で入団した白石勝巳だけだった。その秘技は、三遊間のゴロを半身の体勢でグラブに収め、一塁へ矢のようなノ...

  • <3>備前喜夫 (10/9)

     入団したころは紅顔の美少年。動作も子ジカのように跳ねることから、「バンビ」のニックネームがついた。投球フォームにしても、端正にして流麗なら、性格も温厚にして篤実。心技体ともに洗練された投手だった。そ...

  • <4>長持栄吉 (10/10)

     右翼に浅い飛球が上がったが、長持栄吉は定位置で微動だにしない。

  • <5>大沢清 (10/11)

     弟が大沢啓二(元日本ハム監督)というのもうなずけるほど、兄も負けず劣らずの「親分肌」。チャキチャキの江戸っ子である。広島に入団した1952(昭和27)年。すでに三十も半ばを超えていた大沢清は、チーム...

  • <6>樋笠一夫 (10/12)

     球団創設に当たり、石本秀一監督が掘り当てた樋笠一夫は30歳のとんでもない原石だった。1950(昭和25)年、ルーキーながら21本塁打、72打点とチーム2冠王。その輝きは、翌年移籍した巨人で「代打男」...

  • <7>松山昇 (10/15)

     プロ3年目の1954(昭和29)年、長谷川良平と同じ18勝を挙げた松山昇。入団から2年間でわずか1勝と、うだつの上がらなかった右腕が、いきなりエースと肩を並べる大変身を遂げた。こんな立身出世には必ず...

  • <8>磯田憲一 (10/16)

     広島の二塁手と言えば、「いぶし銀」と形容される玄人好みの名手が思い浮かぶ。金山次郎、小坂佳隆、大下剛史、正田耕三…。その先駆けとなったのが、身長157センチと球界一の小兵ながら、堅実な守備と職人芸の...

  • <9>広岡富夫 (10/17)

     巨人の名遊撃手で知られ、後に監督としてヤクルト、西武を日本一に導いた広岡達朗は弟。しかし、この兄弟はすべての面で対照的であった。スマートで繊細、プレーに華のある達朗に対し、兄の広岡富夫は地味で、長打...

  • <10>渡辺信義 (10/18)

     勝率3割を割れば、球団解散も予測された1952(昭和27)年。球団存続がかかった広島の危機をくせ球が救った。球が上下左右に微妙に変化するところから、名付けられた「十字架球」。自在に操ったのは2年目の...