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羽月、開幕1軍へ走る 機動力を意識「一番力発揮しやすい」 [話題] (3/2)
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森浦、開幕1軍見据え「全力を出す」 [話題] (3/2)
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九里、開幕投手は来季以降に 「年間通してベストパフォーマンスを」決意新た [話題] (3/2)
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中村奨、春キャンプ初の1軍完走 開幕1軍へ「がむしゃらにやる」 [話題] (3/1)
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「もう無理ですとは伝えた」 西川一問一答<上> [話題] (12/3)
▽「IT改革」データ打ち込むのも苦労 新世紀を控えた2000年、カープは「IT改革」に着手する。情報技術の波は球界にも訪れ、技能向上や戦略にパソコンが欠かせなくなる。未勝利投手から転身8年目のスコア...
▽敗戦処理でも、1軍にいられる喜び 白星も、黒星も、セーブも付かなかった1999年は充実していた。入団からくすぶり続けた9年目右腕は、玉木重雄、高橋建、小林幹英に次ぐ30試合に登板。勝ち試合で投げた...
▽一番好きな野球に未練があった
▽勝負どころの配球、理屈より感覚も 完封目前、138球目で初めてサインに首を振られた。「捕手だから、覚えているのは打たれたことばかり。抑えて記憶に残っているのは、この一球だけかもしれない」。1997...
▽紀藤休養、監督に強く進言しておけば 三村敏之監督を支える投手コーチとして、悔やんでも悔やみきれない一戦がある。1996年7月9日、9連勝で札幌へ乗り込んだ巨人戦。相手にプロ野球タイ記録(当時)の9...
▽一流の穴を埋める超二流になれと… 「入団した中日でも、移籍した広島でも、僕は後から行く選手だった」。代打、代走、守備固め。途中出場の役回りが、1995年に一変する。5月23日、前田智徳が右アキレス...
▽完全試合 いつもの槙原じゃなかった 年に1度の福岡遠征。首位打者2度の「1番・二塁」は楽観的だった。1994年5月18日の福岡ドーム、発表された巨人の先発は槙原寛己。カープ打線はけがの前田智徳や江...
▽津田のあの笑顔、今でも頭の中にある オールスターゲーム出場9度目のベテラン左腕は、平常心でいられるはずはなかった。1993年7月20日の第1戦。「東京ドームのロッカールームで訃報を聞いた。あいつが...
▽祝杯・席割り…野球以外の全てを管理 1992年、球団初の200勝投手が誕生する。35歳となる北別府学が、残り10勝の開幕から驚異的な速さでカウントダウンした。長谷川良平の197勝更新には2度足踏み...
▽ビール瓶で右手裂いた オフレコじゃけ 1991年のV6が決まる数日前、球団史に残るグラウンドでのビールかけが計画された。ファンと一緒に戦った場所で祝えるのは誇り―。上土井勝利球団部長が提案し、松田...