カープ

<1>長谷川良平

2019/10/9

 1950年1月15日、広島市基町の西練兵場跡(現在の広島県庁)で行われた広島カープの結成披露式には、約2万人のファンが詰めかけ熱気に包まれた、と当時の中国新聞は伝えている。その時、お披露目されたナインは、石本秀一監督以下、28人。その後、50人にまでになった創設時のメンバーは、チーム解散の危機や給料の遅配などの苦境を耐え抜き、チームの礎を築き上げた。そこから数えて今年で50年目。この間、合わせて610人余りの選手が在籍したが、この中からそれぞれの時代に輝いた選手を紹介する。
(ここまで 240文字/記事全文 1634文字)

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  • 入団1年目からエースとしてチームを支えた長谷川(1950年2月26日)
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