カープ

<3>備前喜夫

2019/10/9

 入団したころは紅顔の美少年。動作も子ジカのように跳ねることから、「バンビ」のニックネームがついた。投球フォームにしても、端正にして流麗なら、性格も温厚にして篤実。心技体ともに洗練された投手だった。それゆえに一見、平凡。しかし、実体は非凡。無個性という個性をバックボーンに、備前喜夫は11年間、弱体投手陣のマウンドを支えた。
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  • 長谷川とともに広島投手陣の屋台骨となった備前(1952年)
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