カープ

<11> 1994年11月8日 川口がFA1号 家族のため35歳の決断

2020/4/4

 ▽「僕は残りたい、妻は父を支えたい。別れましょうという話にもなった」 川口

 日本プロ野球界にフリーエージェント(FA)制度が導入された1993年オフ、広島で奪三振を積み重ねていた川口和久の生活環境が一変した。東京で暮らす義父の膵臓(すいぞう)がんが発覚。翌94年は妻が看病のために広島との往復を重ねた。川口は「家族のため。それがなければ、巨人のユニホームを着ることはなかった」。35歳の秋、関東へ移り住むことを決意し、広島からのFA移籍第1号となる。
(ここまで 226文字/記事全文 1807文字)

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  • カープで初めてFA宣言し、広島市内の自宅前で取材に応じる川口(1994年11月8日)
  • 巨人に入団し、長嶋監督(中)と記念撮影する川口(左)、広沢(94年12月5日)
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