【1974年連載「カープ ぼくは新顔」】 <1> 池谷公二郎(投手)=73年ドラフト1位
▽力量 メジャー級の大物
「大物」といわれる新人はどこかが違う。一種独特の雰囲気がある。池谷も例外ではない。「体もツラも実にいい」。長谷川ヘッドコーチは感ずるところがあるらしい。
「ねらいは新人王」。てらいもなくサラリと出た。池谷のプロ野球に対する物指しは、昨年の新人王・新美(日本ハム)が基準。「ライバルだ」とは本人である。かつては日本楽器の両輪といわれた二人だ。単に度胸がいわせるのではない。ノンプロ界のエース、輝かしい実績。それだけでもない。
一昨年の世界選手権(ニカラグア)。この時、パイレーツから再三勧誘された。「力量はメジャー級」の評価だった。「球の勢いなら新美以上」とは日本楽器の川島監督だ。「(カウント)2ボールからでもズバッと内角にシュートを投げる」(木下スカウト)は勝負勘と度胸のよさ、さらに自信を裏付ける。その資質が並みでないことは確か。
「佐伯(和司)君とは同年齢だけど、プロでは先輩、だから佐伯君の長所を吸収するよう努力する」。練習での池谷はいたって謙虚。順応性もある。「プロの練習はきびしい」と音を上げたのが自主トレ初日、2日目は「これなら」とケロリといった具合。
友だちに2日続きの激励会をやってもらった。静岡駅からは多くの人に「バンザイ」で送られた。「人の温かさが身にしみた。「がんばらなくっちゃ」。この池谷、大洋の山下、中日の藤波と静岡勢で、新人王を競う。「今から血が燃えるんです。早く投げたいなァ」
いけがや・こうじろう 1952年6月28日生まれ。投手。静岡商―金指造船―日本楽器―広島(73年ドラフト1位)。73年にドラフト指名されたが、1年間は会社に残留。74年に入団した。140キロ台後半の速球とスライダーを武器に、入団2年目の75年にいきなり18勝をマーク。翌76年には20勝15敗で、最多勝と沢村賞に輝いた。通算325試合、103勝84敗10セーブ、防御率4・13。引退後は野球解説者を経て、広島、巨人の投手コーチを務めた。
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過去に中国新聞で掲載した記事や写真を再構成してお届けしています。ことしで70周年を迎えたカープの球団史を彩った選手たちの若き姿をお伝えします。年齢などは当時のままです。
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