【カープ70周年 70人の証言】<2>1951年 長谷部稔さん(89)
2020/12/1 22:40
▽月給 たまに1000円もらっておしまいよ
専らブルペンで球を受ける3番手捕手として、1軍に帯同し続けた。「月給5千円のはずじゃったが、わしら若手は常に後回し。たまに千円もらっておしまいよ。しょうがないよのう。銭がなかったんじゃけ」。捕手ならではの優れた記憶力で、尽きない「貧乏話」を克明に語る。
(ここまで 149文字/記事全文 1025文字)

この記事の写真
あなたにおすすめの記事
カープ70周年 70人の証言の最新記事
-
【カープ70周年 70人の証言】<52>2001年 古沢憲司さん(72) (1/24)
▽海渡りアカデミーで指導、住めば都よ 2001年、意気揚々と海を渡る。前年限りで阪神の投手コーチ契約が切れ、広島の松田元オーナー代行を訪ねたのがきっかけだった。「仕事がないから頼みに行ったら、ドミニ...
-
【カープ70周年 70人の証言】<51>2000年 畝龍実さん(56) (1/23)
▽「IT改革」データ打ち込むのも苦労 新世紀を控えた2000年、カープは「IT改革」に着手する。情報技術の波は球界にも訪れ、技能向上や戦略にパソコンが欠かせなくなる。未勝利投手から転身8年目のスコア...
-
【カープ70周年 70人の証言】<50>1999年 小林敦司さん(48) (1/22)
▽敗戦処理でも、1軍にいられる喜び 白星も、黒星も、セーブも付かなかった1999年は充実していた。入団からくすぶり続けた9年目右腕は、玉木重雄、高橋建、小林幹英に次ぐ30試合に登板。勝ち試合で投げた...
-
-
【カープ70周年 70人の証言】<48>1997年 瀬戸輝信さん(51) (1/20)
▽勝負どころの配球、理屈より感覚も 完封目前、138球目で初めてサインに首を振られた。「捕手だから、覚えているのは打たれたことばかり。抑えて記憶に残っているのは、この一球だけかもしれない」。1997...