生きて

元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年〜)

  • <10> カメとヒグマ 中川グループの一員に (2/18)

     衆院議員になった1979年、俺は自民党の福田赳夫元総理が率いる福田派に入った。今も続く清和会(現細田派)だ。縁ができたのは立候補あいさつで地元の永山忠則先生に会った時だな。現役時代に福田派だったから...

  • <9> 国政に打って出る 2年弱で1万軒を訪問 (2/14)

     警察で仕事をする合間、地元の庄原市を含む衆院旧広島3区に関心を持って調べた。最初は軽い気持ちだった。3区は庄原出身で当選11回の永山忠則先生が引退し、後継候補も落選していた。俺は腹を決めた。 197...

  • <8> 大立ち回りの捜査2課長 県や市の不正 次々摘発 (2/13)

     鹿児島県警の監察室長から鳥取県警の警務部長を経て1969年、埼玉県警刑事部の捜査2課長に 楽しかったなあ、あの頃。捜査2課は知能犯や選挙違反などが担当でね。俺の時代は県や市の不正をばんばん摘発した。...

  • <7> 警察キャリア官僚 出世ルート外れる人事 (2/12)

     化学メーカーを1年で退社。1961年、東京に戻る 日米安全保障条約の改定を巡る、いわゆる60年安保闘争が起き、東京大で顔見知りだった樺美智子さんが国会前の衝突で亡くなった。ショックだった。会社を辞め...

  • <6> 核兵器反対運動 仲間の退学にハンスト (2/11)

     ハンガーストライキを知っているか。抗議のため、飲まず食わずを続けるんだ。俺がやったのは東京大2年の1957年だ。水と塩をなめるだけ。発端は、米国の水爆実験だ。 日本のマグロ漁船第五福竜丸が「死の灰」...

  • <5> 東大時代 貧乏生活 旅行やバイト (2/8)

     1956年、東京大に入学し、学生寮「駒場寮」で暮らし始める 6人部屋でごみ箱のように乱雑だったなあ。当時の寮生は個性の強いやつばかりでね。後にJリーグチェアマンに就いた鈴木昌や作家になる柳田邦男とか...

  • <4> 共学の大泉高時 モテたいから猛勉強 (2/7)

     修道高を放校処分。1953年、上京して転校試験を受ける 日比谷や九段とか都立高5校ほど受けまくったが、不合格の連続。修道の内申書を開けたら約360人中330番ぐらい。不勉強だから仕方ないけど、修道も...

  • <3> 破壊学生と呼ばれて 再出発へ兄を頼り上京 (2/6)

     広島市内の広島大付属中と修道中を受験する 付属の試験は2次の抽選で落ち、受かった修道に進んだ。俺は小学校では悪ガキだったけど、勉強の要領がいいというか、ヤマ勘が働くというか、試験にはなぜか強かった。...

  • <2> 両親の愛情 「学を与えたい」押し通す (2/5)

     1936年、島根県との境に近い広島県山内北村(現庄原市川北町)の須川集落。農家の4人きょうだいの末っ子として生まれる うちは田んぼが4反3畝しかなくてね。村でも下から2、3番目の貧乏だった。ただ亀井...

  • <1> 官邸の主 シンゾーよ 聞きなさい (2/4)

     自民党の政調会長や閣僚を歴任した。郵政民営化に反対して新党をつくり、反自民政権で辣腕(らつわん)を振るった。政界引退から2年余。亀井静香さん(83)の言動は今も耳目を集める。広島県北部の決して裕福で...