生きて

ヒロシマ史家 宇吹暁さん(1946年〜)

  • <15> 「ヒロシマ遺文」 サイト開設 世界に発信 (8/5)

     サイト「ヒロシマ遺文」を2018年開設し、原爆資料を発信する 今、保存か解体かで注目されている旧広島陸軍被服支廠(ししょう)について、県が「保存・活用方策懇話会」を1992年に設けたことは、忘れられ...

  • <14> 単著の通史 詳述した重層的な営み (8/4)

     研究の集大成でもある「ヒロシマ戦後史」の上梓(じょうし)に取り組む 学生に文化史から原爆ドームも取り上げる「世界遺産教育」にやりがいを覚え、広島女学院大の若い先生方にも刺激されました。神経をすり減ら...

  • <13> 朗読劇 継承のヒントをつかむ (7/31)

     25年間所属した広島大原爆放射能医学研究所を2001年に退く 原医研は、1986年のソ連チェルノブイリ原発事故による放射線被曝(ひばく)に目を向けます。研究予算も付くからです。職場の原爆被災学術資料...

  • <12> 原爆手記 言い尽くせぬ個の記録 (7/30)

     「原爆手記掲載図書・雑誌総目録1945―1995」を刊行する 長崎も一緒に回って手記収集に当たった内田恵美子さんが亡くなった91年、追悼文を募ると、爆心地復元調査を率いた志水清さんは「生き字引的存在...

  • <11> 助手13年 仲間が協力 楽しく研究 (7/29)

     「被爆体験」を巡る研究論文を1980年代から次々と発表し、自治体の要請にも応じるが、広島大原医研助手の日々は13年余に及んだ ヒロシマを論じる研究者は被爆地でも意外と少ない。助手であっても論文は歴史...

  • <10> 収集の哲学 全て原典 限りなく探す (7/28)

     ヒロシマの戦後史を考えると1960年代後半に新しい動きが市民レベルで起きています。ベトナム戦争反対、沖縄返還や公害を巡って民衆の声が高まった頃です。被爆地では原爆の風化が言われだし、子どもたちに「8...

  • <9> 「資料調査通信」 聞き書きにのめり込む (7/25)

     「資料調査通信」の発行を1981年に始め、収集情報を紹介する 広島大霞キャンパス(広島市南区)の原爆被災学術資料センターに出勤すると、地元の中国、朝日、毎日、読売、郵送で届く長崎新聞の5紙をチェック...

  • <8> 内地研究員 上京 俊英と議論し刺激 (7/24)

     広島大原爆放射能医学研究所助手は、資料調査を自費でも続けた 原爆後障害研究会が長崎で隔年で行われる時は、所属の疫学・社会医学部門が旅費をみてくれ、長崎原爆の資料を調べました。東京への調査となると個人...

  • <7> 原医研移籍 便利屋扱い 自由も手に (7/23)

     広島県史編さん室で「原爆三十年」を担当し、執筆にも当たる 「原爆三十年」は、1975年に入って編さんが決まります。室の先輩らは県史各編に加えて福山市史などを引き受けて忙しい。まだ下っ端でしたが、先生...

  • <6> 自主研究会 現代史 ガリ版で問う (7/22)

     被爆75年となる中、「社会化された被爆体験」ということをあらためて考えています。人間が強いられた原爆体験はどう論じられてきたのか、社会的にどう記憶されているのか。記憶の中身や在り方が今ますます問われ...