生きて

元廿日市市長 山下三郎さん(1930年〜)

  • <15> つなぐ 被爆者の思い 世界中へ (2/10)

     2007年、4期務めた廿日市市長を退任する 77歳でまだ元気でしたが、まちづくりは平成の大合併を終えて一区切りし、多選の弊害を考えました。自分に厳しくしてきたつもりだが、長く続けるほど住民との緊張感...

  • <14> 平成の大合併 広大な市域 責任も重大 (2/9)

     2000年、広島県が市町村の合併パターンを示し、「平成の大合併」協議が動きだす 廿日市市はコンパクトな町で行政効率はよかったが、少子高齢化で財政が厳しくなる将来、県西部地域が一体的に発展するには合併...

  • <13> 基地問題 反対闘争の継続を覚悟 (2/6)

     2005年、米軍の岩国基地(岩国市)へ厚木基地(神奈川県)の空母艦載機を移転させる計画が浮上する 騒音や事故の危険性で住民生活が影響を受けるだけでなく、世界遺産がある宮島の生態系への影響も心配されま...

  • <12> 核廃絶運動 被爆体験証言 私の使命 (2/5)

     2000年、日本非核宣言自治体協議会の副会長に就く 長崎市で毎年開かれる協議会の大会に参加するようになり、会長の伊藤一長・長崎市長と交友が始まりました。自民党県議から就任した時は長崎の平和行政がどう...

  • <11> 福祉向上 「行政はサービス産業」 (2/3)

     廿日市市長に1991年に就任し、市職員にまず話したのは「市民はお客さまであり、行政は最大のサービス産業である」でした。地方自治は住民のためにあるというのは、宮内村議の頃から培ってきた考え。住民に寄り...

  • <10> 市長就任 新庁舎建設にまず着手 (2/2)

     1991年9月、廿日市市の半明英夫市長(当時63歳)が急死する 宮内村の村議になってから数えて10期目、市議会議長の時です。市議会定例会の開会期間中に半明市長が体調を崩され、突然のことに驚きました。

  • <9> 単独市制 開市式に感慨ひとしお (1/30)

     政令指定都市を目指す広島市が1970年、広島県廿日市町に合併を申し入れた 社会党の広島市議からも町議の私に「体育館の一つでも造るから」と合併の呼び掛けがありました。町内では、広島市により近い東隣の五...

  • <8> 落選 支援のありがたみ痛感 (1/29)

     1974年、広島県廿日市町(現廿日市市)の町長選に立候補する 4年前の町長選で立候補を急きょ辞退し、次の選挙では革新町政を目指して立つと決めていました。25歳から6期19年続けてきた議員をいったん辞...

  • <7> 社会党 反核や平和政策に共鳴 (1/28)

     1957年、合併後初の広島県廿日市町議選で当選。平和運動に取り組み、社会党(現社民党)に入る 地元の宮内地区に社会党県議の村井一夫さん(88年に死去)がいました。私は町議になった頃から村井さんを支援...

  • <6> 初当選 自転車で村内駆け回る (1/27)

     21歳の時、宮内村(現廿日市市)の村長選で、家が近所だった広藤鼎村長(1990年に死去)の参謀を務めました。激戦が予想されたので引き受け手がいなかったようです。私は青年団や町内会でリーダー役を務め、...