生きて

生きて 工房おのみち帆布元理事長 木織雅子さん(1939年〜)

  • <6> 40歳の転機 喫茶ケープタウン開店 (4/13)

     主婦として子育てをしながら「退屈しのぎ」にプラモデル店を自宅でやっていた けっこう人気でね。子どもたちがしょっちゅう来てました。でも商売っ気がなく、子どもたちの好きに任せてご近所さんとよく話し込んで...

  • <5> 結婚 「愛と革命に生きる」夫 (4/10)

     尾道に戻ってしばらくして、のちに夫となる木織安雄さんと出会う 三原の高校を卒業して工員として造船所で働いていました。読書家でね、自分のバイクに「愛と革命に生きる」とペンキか何かで書いてあるんですよ。...

  • <4> 保育士に 尾道学寮で奮闘 (4/9)

     念願の保育士となって尾道に戻った。働くことになったのは尾道市吉和にあった尾道学寮だった 吉和は漁師町でね、家を持たずに船上で暮らす人たちも多かった。だけど、子どもたちを陸に上げて教育を受けさせる時代...

  • <3> 保育専門学校 3畳間に2人で暮らす (4/8)

     広島市南区宇品にあった県立保育専門学校に進む 授業料が無償だったんです。それで進学できた。でも親からは生活費をもらうことはやっぱり難しい。ここでも貧乏生活でしたね。己斐の方に親戚が居てね。最初はそこ...

  • <2> 幼少期 貧しく、下を向いていた (4/7)

     尾道市久保生まれ。父は旋盤工で転々と住まいを移す 最初は地元の土堂小に通い、愛媛県の伯方島に移ってから久保小に戻ってきました。転校が嫌でね。中学校は引っ越しても転校せず、久保中に越境して通っていたく...

  • <1> 尾道帆布 60歳すぎてNPO設立 (4/6)

     家船(えぶね)の子どもたちが暮らす尾道学寮の保育士に始まり、専業主婦から喫茶店主を経て、60歳をすぎてNPO法人工房おのみち帆布を立ち上げた木織雅子さん(81)。70歳直前には尾道市商店街連合会の会...

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