生きて

生きて 児童文学作家 那須正幹さん(1942年〜)

  • <15> 次代へ伝える 平和 継承する努力願う (8/7)

     被爆から70年の夏を迎えた 僕の場合、子どもに向けて書く仕事だから、次の世代に分かってほしいという思いが強い。でも、体験のない子どもたちに、どうアプローチをしていくか。戦争の悲惨さをストレートに伝え...

  • <14> ヒロシマとフクシマ 被爆体験 被災地で語る (8/6)

     2011年3月11日、東日本大震災が発生。4カ月後、福島県矢吹町の小学校で講演した 山間部の学校で、津波被害はないけど、家なんかが壊れとるのは随分あった。学校の運動場も除染作業で土が山盛りになっとっ...

  • <13> 後進への期待 「自分の世界」見つけて  (8/5)

     2007年、地方の作家としては初めて、日本児童文学者協会の会長に就任。5年間務めた 前々会長の砂田弘さんが、がんになって会長を降りられた。その次の木暮正夫さんもがんを発病されて。急きょ、次を決めんに...

  • <12> 「ズッコケ三人組」完結 「現実との乖離」感じる (8/4)

     「ズッコケ三人組」シリーズの2巻目「ぼくらはズッコケ探偵団」(1979年刊行)が出たころかな。ポプラ社の営業の部長さんが広島に来て、一緒に食事をしよる時に「先生、ズッコケは何巻ぐらい書くつもりですか...

  • <11> ヒロシマを書く 先輩作家の勧めで決意 (7/31)

     1978年、父が他界し書道塾を辞め、妻の実家がある防府市に転居 物心ついたころからピカの話を聞かされてきて、広島におった時は文学の対象にする気もなかった。それが、防府に引っ越すと広島のことが気になり...

  • <10> 野心作 「戦争の危機 今も」伝える (7/30)

     シリーズ化されていく「それいけズッコケ三人組」(1978年2月刊行)。その前後に、異色の作品を刊行する。その一つが「屋根裏の遠い旅」(75年2月刊行)だ 初めて戦争児童文学に挑んだ作品じゃね。72年...

  • <9> ずっこけ三銃士 冒険や事件 コミカルに (7/29)

     1975年12月、学習研究社(東京)の編集者が来訪する 学習雑誌「6年の学習」に連載してほしい、という。どういう話がええかと聞いたら、6年生の三人組がいろんな冒険をしたり、事件を解決したり。いってみ...

  • <8> デビュー 夢中にさす面白さ追求 (7/28)

     広島で発行していた同人誌「子どもの家」に作品を書き始めて2作目は、「暗い部屋」という、小学校の思い出みたいな物語を書いた。その時、東京の児童文学作家、来栖良夫さんがたまたま合評会に参加された。僕の作...

  • <7> 帰郷 次姉に誘われ同人誌に (7/25)

     勤めていた会社の異動方針に反発して退社。1967年、帰郷した 当時、おやじが「龍門書道会」という書道塾を開いていた。生徒が300人ぐらい。僕が帰ったから、「おまえも手伝え」と。じゃけど、僕は左利きで...

  • <6> サラリーマン時代 入社2年 異動機に退社 (7/23)

     大学4年の秋だったかな、学内で、東京の日通商事という会社の求人案内が出とった。山行にのめり込んでいて、東京なら、日本アルプスや、谷川岳に登れるなと思うて。同じ学科の学生2人と受けに行った。 ペーパー...