生きて

生きて プロ野球広島東洋カープ元投手 安仁屋宗八さん(1944年〜)

  • <15> カープOB会長 コイ談議、一番の楽しみ (2/15)

     約140人が会員となっているカープOB会の会長として4年目を迎えた 活動の中心は小中学生の野球教室。広島、尾道、岩国市などで年10回程度開いている。少年野球で教えるのもまずはあいさつ。技術的なことは...

  • <14> 解説者 順位予想、カープV貫く (2/14)

     2軍監督を辞め、1998年から地元放送局の解説者をしている マツダスタジアムで試合がある時は自然と足が球場に向く。解説の仕事がなくても欠かさず、午後3時に球場入りして練習を見る。選手や首脳陣と触れ合...

  • <13> 指導者 投手王国、自主性を重視 (2/11)

     1981年に現役を引退。翌82年から通算17年、投手コーチや2軍監督を務めた 指導者は向いていないと思っていた。真面目ではないから。球団から打診された時は、教えることができるか不安だった。

  • <12> 古巣復帰 衰え隠せず引退を決意 (2/10)

     1979年オフ、阪神から広島に移籍し、古巣に復帰した 阪神監督のドン・ブレイザーと確執があった。その年の春季キャンプでほかの2投手とランニングシューズでウオーミングアップしていた。ほかの選手はみんな...

  • <11> 阪神へ移籍 反骨心でタイトル奪取 (2/9)

     1974年オフ、球団から阪神への移籍を言い渡された きっかけは、その年の春にあったと思う。開幕直前、1軍打撃コーチのジョー・ルーツから「サイドスローに変えろ」と言われた。「なぜキャンプの時に言わない...

  • <10> 結婚 なれそめは寮への来訪 (2/7)

     1971年、26歳で結婚した。5歳年下の美和子さんとの出会いはその4年前、場所はカープの合宿所三篠寮だった 彼女は、弟と一緒に寮にやってきた。野球好きでサインが欲しいという弟の付き添い。たまたま私が...

  • <9> 痛風発症 不摂生たたり成績下降 (2/4)

     1969年の日南春季キャンプ初日に右足親指に激痛が走った。診断の結果は「痛風」だった キャンプイン前日から足が重たい感じだった。宿舎に着いてマージャンをしていたら、右足親指の付け根がむくみ、痛くなっ...

  • <8> 全盛期 23勝、チームも3位に (2/3)

     5年目の1968年、自己最多の23勝(11敗)をマークした。防御率2・07。球団は3位で初のAクラス入りを果たした。先発と救援の両方をこなし、57試合で投球回は300を超えた この年の春季キャンプで...

  • <7> 巨人キラー 「勇姿見せたい」と発奮 (2/2)

     1年目の1964年6月14日、巨人戦(広島)で1失点完投。8試合目の登板でプロ初勝利を挙げた 王(貞治)さん、長嶋(茂雄)さんから三振を取ってみたいというのが夢だった。プロに入ってから2人の存在を知...

  • <6> プロ生活 猛練習と食事に戸惑い (2/1)

     1963年9月、広島東洋カープに入団。厳しい練習や食事の違いなどに戸惑った 白石(勝己)監督の最初の一言がショックだった。「おまえ、ほんまに野球をやっとったんか」。同期入団の苑田(聡彦・現スカウト統...