生きて

<7> お能一家 伝統の芸 子に引き継ぐ

生きて 能楽師 大島政允さん(1942年〜)2015/3/19 15:06
当時6歳の衣恵さん(手前)の仕舞で、地謡に並ぶ久見氏(奥左)と大島さん(奥中)。次女文恵さん(奥右)の初舞台でもあった

当時6歳の衣恵さん(手前)の仕舞で、地謡に並ぶ久見氏(奥左)と大島さん(奥中)。次女文恵さん(奥右)の初舞台でもあった

 喜多流宗家の職分として独立したのを機に、大島家3代目久見氏の勧めで泰子さんと結婚した

 家内は東京で大学を出て、そのまま東京の出版社で仕事をしてたんだけど、親から「結婚できんようになる」と福山に連れ戻されたんだね。新しい能楽堂で結婚式を挙げ、しばらく東京で新婚生活を送りました。1974年に長女衣恵が生まれた。そして長男輝久が生まれた76年、2人を連れて福山に帰ってきました。

 衣恵は2歳で初舞台を踏んだんだな。反発もせず、お弟子さんからは「お利口さん」と褒められてね。衣恵との舞台での絡みは、4歳でさせた名曲「隅田川」が印象深い。人買いにさらわれたわが子を捜す、物狂いの母親の話。子は亡くなっていたんだけど、塚(墓)から幽霊として出てきて母子は再会できるって、そんな重い曲なんだ。僕は母親のシテ(主役)で、衣恵は子方。衣恵は外が見えない塚の作り物の中で「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と謡うんだけど、それがちゃんとできるか、はらはらした。
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