生きて

<5> 広島入団 鋭いシュート、プロ注目

生きて プロ野球広島東洋カープ元投手 安仁屋宗八さん(1944年〜)2017/1/31 9:00
平山さん(左から3人目)と入団交渉し、広島入りを決める(右端)

平山さん(左から3人目)と入団交渉し、広島入りを決める(右端)

 1963年、社会人野球の琉球煙草(たばこ)に入社。1年目に補強選手として出場した都市対抗で好投し、プロ野球のスカウトから注目された

 琉球煙草の選手だった兄に誘われて入社した。会社も補強に力を入れていたようだ。都市対抗九州予選の初戦で先発し8回3失点。チームは延長十八回で競り負けた。予選を突破したチームから補強選手にと声が掛かった。大会があった大分県から沖縄へ帰るため、鹿児島県へ移動している最中。沖縄なまりがあって人と話もできないから断ってくれと監督に伝えた。しかし、兄にも行ってこいと勧められて参加を決めた。
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