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<寄稿>心ときめく異国の色・文様 浅野箱とインド更紗 広島県立美術館学芸課長・福田浩子

2019/10/10
中国・元時代(14世紀)の絵画「寒山拾得図」を収めた桐箱・更紗帙(東京国立博物館蔵)

中国・元時代(14世紀)の絵画「寒山拾得図」を収めた桐箱・更紗帙(東京国立博物館蔵)

 広島県立美術館(広島市中区)で開催中の「広島浅野家の至宝」展は、旧広島藩主浅野家旧蔵の武具や刀剣、絵画や茶道具などを国内外から集結させた展覧会である。とりわけ充実しているのは、宋・元代の中国絵画と室町時代の日本絵画コレクションで、出品点数の約半数を占める。

 貴重な作品を収めるための贅(ぜい)を尽くした桐箱(きりばこ)や更紗(さらさ)の帙(ちつ)は浅野箱と通称され、高いデザイン性に驚かされる。今回、目を向けたいのは、それらの絵画を収めた箱を包む帙に使われた布、つまり更紗から広がる世界である。

 更紗とは、色とりどりに模様を染めた布を示し、インドに起源をもつ。インドでは古代から躍動感あふれる文様を藍や茜(あかね)などによる鮮やかな色彩で、木綿布に堅牢(けんろう)に染めあげる高度な技術を発展させてきた。芸術性豊かなインド更紗は国内外の人々の心をときめかせてきた。

 15世紀に始まる大航海時代、インド更紗は大量に海を渡って世界各地へ運ばれるようになる。日本へも15、16世紀には更紗が到来していたと考えられているが、本格的に輸入され始めたのは江戸時代になってから、オランダ東インド会社によってであった。

 長崎を通じて輸入されるさまざまな品物の中でも、とりわけ異国の美しい更紗は人々を魅了し、着物に仕立てたり、茶道具を包んだりして珍重された。大名家伝来の更紗としては、例えば、彦根藩主井伊家伝来で450枚におよぶ通称「彦根更紗」は17〜18世紀の古渡(こわたり)更紗を多く含んでいるし、松江藩第7代藩主の松平不昧(ふまい=1751〜1818年)も、更紗を好んだ茶人のひとりとして著名である。

 また、同じ頃、広島藩でも第8代藩主浅野斉賢(なりかた=1773〜1830年)の治世に絵画コレクションの整備が行われ、上質な桐箱や二重箱、狩野派の幕府御用絵師の箱書、最先端をゆくおしゃれな古渡更紗の帙が整えられた。浅野家の更紗帙の中には、先に述べた彦根更紗と同種の布を見ることができる。

 これらの更紗の原型を示す資料として、20〜30年前にインドネシアで発見された古い更紗がある。インドネシアではインドの染織品は王侯貴族のステータス・シンボルとして、儀式などの特別な場面で着用され、切断されることなく原型をとどめたままで伝世することができた。11月10日まで当館所蔵作品展で展示中の、古渡更紗の原型を彷彿(ほうふつ)とさせるインドネシア渡りの更紗は長辺3メートル超。この大きさに向き合っていただきたい。

 インドの更紗は、西アジアでは天幕や掛布として、ヨーロッパでは貴婦人のドレスやベッドの天蓋(てんがい)としても使用された。やがて、輸入に飽きたらずに、日本で和更紗、インドネシアのジャワ島でロウケツ染のバティックなど各地で更紗が作られるようになった。そして、19世紀ヨーロッパで化学染料を用いたローラープリントが開発されると、大量かつ安価なプリント更紗がインド更紗に取って代わって市場を席捲(せっけん)するようになり、更紗の世界地図は塗り替えられていった。

 江戸時代の古渡更紗がまぎれもなく大航海時代のグローバルな動きの中にあったことに思いをはせれば、小さな更紗の裂にますます愛(いと)しさを感じてしまう。

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 「広島浅野家の至宝」展は中国新聞社などの主催で、20日まで。15日は休館。

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  • インドからインドネシアに渡った「菱形染分パッチワーク文更紗」(17〜18世紀、324.8×231.4センチ、広島県立美術館蔵)

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