マツダ100年 車づくりと地域

<2>復興、戦後を支えたバタンコ 「人間が中心」設計の礎

第1部 あの時 あの場面2019/11/19 22:00
広島市南区松原町にあった頃の山西商店。三輪トラックが活躍していた(1953年、撮影・明田弘司氏、イズミ提供)

広島市南区松原町にあった頃の山西商店。三輪トラックが活躍していた(1953年、撮影・明田弘司氏、イズミ提供)

 青いボディーにタイヤが三つ。周囲を歩き、運転席や荷台を何度ものぞいて確かめた。「これですよ、懐かしいねえ」。車体にそっと手を添え、半世紀余り前の記憶をたどった。バタバタと音を立てるエンジン、砂利道の揺れる感覚…。自然と目尻が下がった。

 靴下製造卸のワカバ(広島市西区)の若林博行会長は今月、マツダの本社地区にあるマツダミュージアム(南区)を訪れた。往年の名車を展示する一角で、三輪トラックに再会した。通称バタンコ。戦後、苦楽を共にした相棒だ。
(ここまで 222文字/記事全文 1909文字)

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  • マツダミュージアムで若き日の「相棒」だった三輪トラックを懐かしむ若林さん(撮影・山崎亮)
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