マツダ100年 車づくりと地域

<5>早期退職 「変革か死か」、2210人の決断

第1部 あの時 あの場面2019/11/22 23:04
仁保橋で「ブランドを大切に、次の100年に立ち向かってほしい」と願う迫さん(撮影・天畠智則)

仁保橋で「ブランドを大切に、次の100年に立ち向かってほしい」と願う迫さん(撮影・天畠智則)

 2000年11月17日の正午すぎ。マツダ本社のあちこちに、社員が弁当を広げるいつもの光景があった。職場のスピーカーから流れるのも普段と同じラジオ番組。ただアナウンサーが伝えるニュースの内容が違った。「マツダが1800人の希望退職を募る」―。当時の社員迫勝則さん(73)=広島市佐伯区=も本社6階で聞いた。「人ごとだと思った。周囲もそうだった」

 しかし、この日午前のマツダの発表は地域に衝撃を与えていた。希望退職と本社宇品第2工場(南区)の閉鎖を軸とした経営合理化策。広島最大の企業が踏み切る初めての大量リストラと生産の大幅縮小に、不安が広がった。
(ここまで 274文字/記事全文 1976文字)

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  • 人員削減や工場閉鎖の合理化策を発表するフィールズ社長=奥左(2000年11月、広島市中区)
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