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【第6部 広島の未来へ】<1>研究者 広島大大学院 中山富広教授

2019/12/9
「藩政史料の不足が研究を妨げている。学外に歴史への理解を広げ、史料の発掘に努める必要がある」と話す中山教授

「藩政史料の不足が研究を妨げている。学外に歴史への理解を広げ、史料の発掘に努める必要がある」と話す中山教授

 旧広島藩主浅野氏の広島城入りから400年の今年、本連載で藩政や文化美術工芸など多様な側面から同氏の足跡をたどった。一方、広島郷土史は史料の不足もあって十分な研究が進んでおらず、広く知られていない実情がある。研究者や行政・財界、旧藩ゆかりの人たちへのインタビューを通じ、令和新時代にふさわしい郷土史との向き合い方を探りたい。1回目は広島大大学院の中山富広教授(63)=日本近世史=に聞いた。(城戸良彰)

 ▽古文書の発掘は責務

 ―広島藩史を学ぶ上で文献の少なさが障壁となります。学術的には「広島県史」など一握りの書籍を参考にするしかありません。

 やはり原爆で多くの藩政史料が焼かれてしまった影響が大きい。広島市立中央図書館(中区)は、歴代藩主が収集した書籍などを浅野家から寄贈を受け、浅野文庫として所蔵する。ただ一次史料は多くなく、同文庫から立体的な歴史を描き出すのは難しい。

 ―被爆の他に理由は考えられますか。

 藩史上、目立った事件がなく興味を引きづらいのかもしれない。米沢藩の上杉鷹山のような「名君」がいない。名君とは藩財政の破綻のような危機を立て直したからそう呼ばれる。安定して豊かだった広島藩の殿様は決して暗君ではないが名君にはならなかった。

 ▽山間部を開発

 ―広島藩は豊かだったのですね。

 少なくとも19世紀初頭までは景気が良かった。江戸初期から幕末にかけて人口が3倍に増えたというデータがある。土砂崩れなど災害の多い土地柄ではあったが、崩れた山肌を段々畑にするなどかえって山間部の開発が促進されたようだ。勤勉な安芸門徒が多かった事情もある。

 ―地元史の研究が停滞している現状をどう見ますか。

 広島大では近世史を選択する学生は少なく、広島藩をテーマにする人はより珍しい。例えば19世紀初頭の(藩が特産品専売で利益を上げる)国益政策は一つの切り口になり得るが、分析に値する研究テーマが見つけにくい。特に一般の興味が強いだろう藩政史は史料不足で難しい。

 ―郷土で何があったか、歴史が分からないのはもどかしく感じます。

 出来事を発掘するのは大切だが、ひたすらあったことを並べても学術論文にはならないのが難しいところだ。日本史学全体に貢献し得る普遍的なテーマが必要になる。

 自身の研究例では、公式の石高が42万石の広島藩は、実際の生産力はその3、4倍だったことを明らかにした。石高を基準に賦課される年貢高は基本的に変わらない。江戸後期の農民の負担は重くなかったはずだ。権力は年貢をとことん収奪し農民を痛めつけたという、従来の歴史観に反論を示せたと思う。

 ▽崩し字読んで

 ―今後、研究者は地元の歴史とどう向き合うべきでしょうか。

 史料の少なさはこれまで研究者が探すのを怠ってきた裏返しであり、反省する必要がある。地方大学に籍を置く以上は埋もれた古文書の発掘が仕事の半分以上で、責務だと思う。

 一方、歴史学一般の問題として、天下国家を論じず枝葉末節を掘り返す研究が増えた。確かに先の見えづらい現代では大きな物語を描きづらいが、通説を疑う大胆な論文を読みたい。地方の学者は中央からの目線とは違う新しい視点の提示に努めてほしい。

 ―学外に向けてはどのようなことを望みますか。

 古文書の崩し字を読める人がもっと増えれば裾野が広がる。能動的に学びを深める市民が増えれば研究の後押しとなるはずだ。眠っている史料の発見にもつながる。

 なかやま・とみひろ 1956年長崎県生まれ。広島大大学院博士課程修了。2006年から同大学院文学研究科教授。主に芸備地方の都市と農村から江戸時代の社会経済史を研究する。著書に「近世の経済発展と地方社会」など。広島市安佐北区在住。

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