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【第6部 広島の未来へ】<3>福山藩 藩祖勝成を市挙げ顕彰

2019/12/11
福山城博物館で水野勝成の肖像画(複製)を前に福山藩の歴史を解説する皿海学芸員

福山城博物館で水野勝成の肖像画(複製)を前に福山藩の歴史を解説する皿海学芸員

 旧広島藩主浅野氏が広島城に入った1619年は、現在の広島県東部を領地とする福山藩が成立した年でもある。福山市は今年を初代藩主水野勝成の入封400年の節目として祝った。3年後の福山城築城400年も見据え、複数年計画で顕彰を進める。

 「福山では勝成公の知名度は相当に高い」と話すのは、福山城博物館の皿海弘樹学芸員(34)だ。「ゼロから福山の街を築き上げた恩人ですからね」。浅野氏の知名度がいまひとつな広島との違いはどこにあるのか。

 ▽社会副読本に

 勝成は安芸、備後両国を支配した福島正則の改易を受け、主に備後国南部を領域とする福山藩10万石を立藩。当初は神辺城(現福山市神辺町)を拠点としながら福山城を建設した。城下町の造成や干拓も進めた。

 福山市では小学4年生の社会科の副読本に勝成の功績が載る。そのため多くの学校で郷土史教育の一環として教えられている。広島市も小4で郷土史を学ぶのは同じだが、被爆からの復興史が中心で藩の歴史を教える学校は少ない。

 皿海さんは「藩主の肖像が残った幸運も大きいのでは」と指摘する。勝成の肖像画は疎開で空襲を免れ、現存する。浅野氏はほとんどの藩主の肖像が原爆で焼かれたとされるのに対し、勝成は市民が「顔」を見る機会も多い。

 勝成の知名度を背景に、福山では2022年の築城400年の記念事業に熱が入る。市は17〜22年度の6年間を同事業の推進期間に設定。入封を間に挟みながら中長期的に展開していく姿勢を打ち出している。

 福山市の渡辺真悟・築城400年事業推進担当課長は「1、2年のような短期間では機運の醸成が十分できない」と強調する。事業には城のライトアップや、城内に生い茂る樹木の伐採などハード面も含まれる。「ハードソフト両面できっちり進める上でも相当な準備期間が必要」と話す。

 腰を据えて事業を進められる要因の一つは16年の枝広直幹市長の就任だ。枝広市長は公約として「歴史・文化・観光のまちづくり」を掲げた。渡辺課長は「現市政の最重点課題は福山駅前の再整備だが、(駅に隣接する)城の活用もその一環といえる」と説明する。

 ▽1200点の新史料

 行政が核となって藩政期の顕彰が進む福山。地元の郷土史愛好家でつくる備陽史探訪の会の田口義之会長(63)は「市民の歴史への関心は昔も高かったが、行政が歴史事業に直接関わるとは隔世の感がある」と感慨深げだ。

 1960年代以降、封建時代を負の歴史と捉える風潮が強まった。70〜79年に市長を務めた故立石定夫氏は歴史に造詣が深く、退任後は勝成に関する書籍を著した。だが、「市長としては歴史振興に取り組まなかった。できなかったんだろう」と田口さん。「やっと市を挙げて郷土史を誇る雰囲気ができた」と喜ぶ。

 課題もある。水野氏が5代で断絶した後、松平氏1代、阿部氏10代が藩主を務めた。しかし、勝成が注目されるあまり、彼以降の歴代藩主の知名度は高いとはいえない。幕末の藩主阿部正弘は老中として日米和親条約を結ぶなど国事に奔走したが、「福山藩主として知る人はそう多くない」(田口さん)。

 変化の兆しはある。阿部家の子孫は歴史資料を市民に広く見てもらうためとして2009〜11年、古文書など計約1200点を市に寄贈・寄託した。豊富な史料の登場で藩史研究が進む機運が高まりつつある。

 「イベントで終わりではなく、一連の顕彰が学術研究を促すのが理想的」と皿海さん。「歴史の発掘が市民の関心を高める好循環につながれば」と期待する。(城戸良彰)

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