生きて
<7> 警察キャリア官僚 出世ルート外れる人事
化学メーカーを1年で退社。1961年、東京に戻る
日米安全保障条約の改定を巡る、いわゆる60年安保闘争が起き、東京大で顔見知りだった樺美智子さんが国会前の衝突で亡くなった。ショックだった。会社を辞めたのとは直接関係はないけど、俺も何か新しい挑戦をしようと考えた。目指したのは警察と国家公務員の上級職。キャリア官僚というやつだよ。
東京大の合気道部の道場に泊まり込み、ミカン箱を机に猛勉強する
畳敷きで広いし、風呂も無料。最高の環境だった。俺は子どもの頃から大勝負のテストには強くてね。国家公務員上級は3番で合格。当時の通産、運輸、建設の3省から誘いを受けたけど、俺の本命は警察庁。その合格発表の前だったので、ひとまずは通産省の面接に行ったんだ。
ところが官房長との面接でひと悶着(もんちゃく)があった。会社を1年で辞めたことを「浮気性なのか」と言うから、腹が立ってね。「俺の人生にけちをつけるな。不愉快だ」って席を立った。しばらくして警察上級も7番で合格の知らせが届いた。
警察大学校で半年間の研修を受けた後、浅草署で実務修習を積む
ある日、浅草の交番に立っていたら、タクシー運転手が「強盗だ」って飛び込んできた。近隣の飲み屋を片っ端から訪ねると、ある店で止まり木に座っていた男がすっと目をそらした。とっ捕まえた。俺はまだ修習生だったので署長賞を交番に渡した。その後、外国のスパイを追う外事課や東京駅に近い中央署、公安1課でも修習を積んだけど、警察庁の上の方にすれば扱いにくい若造だったみたい。それを俺が痛感したのは人事だったな。
初の地方勤務は鹿児島だった
警察上級の同期は10人ほどで、多くは警視庁や神奈川県警、大阪府警に配属された。地方警察にも序列があってね。かわいげのない俺を遠くに行かせようと上の方は考えたんだろ。最初から出世ルートから外された。鹿児島県警での役職は監察室長。簡単にいえば、警察内部でルールが守られているか調べるのが仕事だ。部下はみんないい人だったけど、俺は妻子と離れての単身赴任。寂しさもあって、休日、桜島を眺めてため息ばかりついていたな。
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