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保守王国 <4> 全国最多宰相の力学 歴史の勝者、軍をバック

2020/2/15
伊藤博文(左端)や山県有朋(左から2番目)ら県出身の首相の肖像画が並ぶホテル「喜良久」のロビー(山口市)

伊藤博文(左端)や山県有朋(左から2番目)ら県出身の首相の肖像画が並ぶホテル「喜良久」のロビー(山口市)

 ▽藩閥、戦後は印象悪く

 山口市湯田温泉のホテル「喜良久」。ロビーには県出身の首相の肖像画がずらりと並ぶ。初代の伊藤博文から佐藤栄作まで7人の宰相たちが油絵で厳かに描かれている。

 中村卓也社長(43)は「観光客にも山口からはこんなに首相が出ているのかと驚かれる。安倍さんも任期満了後にぜひ掲げたい」と顔をほころばせる。

 昨年11月、安倍晋三首相は通算在職日数が憲政史上最長となった。それまで最長だった桂太郎も県内の出身だ。ただ、全国最多の8人の地元出身首相のうち5人は大日本帝国の戦前。ほとんどが軍人政治家だ。

▽政党政治を嫌う

 明治新政府では当然の成り行きで維新の立役者である薩長の出身者が要職を占めた。薩摩はその後、西郷隆盛が西南の役で敗れたこともあり、出身首相は3人と長州に大きく水をあけられることになる。

 長州が多くの首相を出した大きな要因として「武力」の裏打ちがあったことが挙げられる。武力革命を主導した長州人は新政府でも軍の要職を占めた。中でも首相に2度就いた山県有朋は「長州閥」と呼ばれる勢力を築き上げた。

 山県は若き頃、奇兵隊に参加し頭角を現した。刺客に襲われ命を落とした大村益次郎の後を継ぎ近代陸軍の確立に尽力。日清、日露戦争でも勲功を挙げた。政党政治を嫌い、晩年も元老として政治に長く影響力を及ぼし「軍閥の祖」と呼ばれている。一方、民主国家となった戦後は軍国主義の象徴として「悪役」の印象が強い。出身地の萩市の公園には軍服姿で馬にまたがる銅像があるが、この像の移転を巡っても戦後の市議会で革新系の議員から批判が上がる場面があった。

▽「描かれ方悪い」

 太平洋戦争での軍部の暴走に連なる負のイメージも強い長州閥だが、山県と共に否定的に語られることが多い首相に「ビリケン宰相」こと寺内正毅がいる。幸福の神様「ビリケンさん」に似た風貌からこう呼ばれたが、大正デモクラシーの機運の高まりの中、軍人宰相のため「非立憲(ひりっけん)」と批判の意味も込められた。

 「教科書での描かれ方が悪すぎます」。寺内の弟の孫に当たる山口市の中島淳さん(79)はこぼす。近所にある寺内ゆかりの私設文庫は40年以上も未活用のまま。中島さんは「かつては地域から取り壊しの要望まで出たらしい」と憂える。

 戦後の首相でも岸信介は戦時中の東条英機内閣で閣僚を務め、東京裁判でA級戦犯容疑者として収監された。戦前、戦中、戦後の権力闘争をくぐり抜けたしたたかさから「昭和の妖怪」と呼ばれた存在感は、戦後民主主義の宰相として異彩を放っている。1960年には世論が大きく反発する中、日米安保条約を改定。歴代の長州出身の首相と同様に軍の影がつきまとう生涯だった。

 そして現在。祖父である岸への敬愛を抱く安倍首相は集団的自衛権行使への道を開いた。米国から購入を迫られる地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の地元への導入も計画。米軍岩国基地の機能強化など、山口と「軍」との関わりが再び深まろうとしている。(和多正憲)

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