生きて
<12> 自民党下野 細川総理の「首」を狙う
1993年、宮沢喜一内閣への不信任決議案が可決。衆院解散総選挙を経て同年8月、非自民8党派連立の細川護熙政権が誕生する
自民党の下野で幹事長の森喜朗は「また何人か離党するかも」と嘆いていた。切り崩しをしてきたのは自民党から敵方の新生党に移った小沢一郎だ。腐れ縁の森に俺は言った。「殿の首をちょうだいするか」と。細川総理の身辺を洗うことにした。元警察の俺にはお手の物だ。
見つけたよ、殿様の抜き差しならない話を。どこで聞きつけたか、小沢の子分で通産相の熊谷弘が「勘弁してくれ」と泣きついてきた。俺はこう答えた。「国会で追及される前に、あなた方で決めなさい」って。
細川首相は退陣し、非自民路線を継ぐ羽田孜内閣も2カ月で倒れる。94年6月、自民、社会、新党さきがけの3党連立で村山富市内閣が発足し亀井さんは運輸相で初入閣する
航空自由化交渉で米国と丁々発止やったが、記憶に残るのは日本航空の客室乗務員のアルバイト募集を止めたことだ。制服も仕事も同じなのに、給料が正規社員の半分以下なのはおかしいと。その後、ベテランの客室乗務員に「先生のおかげで正規雇用されました」と感謝されたな。
歴代政権に辛口な亀井さんも村山首相については手放しで褒める
所信表明演説で「自衛隊合憲、日米安保堅持」を宣言した。社会党にすれば大きな路線転換だけど、村山さんは政権を担う覚悟や責任感を持っていた。俺が特に感心したのは95年に函館で起きたハイジャック事件の対応だ。警視庁の特殊部隊の投入を進言すると即決だった。部下を信じ、責任は取る。立派だよ。
阪神大震災では社会党の総理だから自衛隊派遣が遅れたと批判されたが、全くの見当違いだぜ。閣議で最初に派遣を話題にしたのは総理だった。自治体からの要請がないと動けなかった。逆に復興を計画より前倒しできたのは村山総理だからさ。
95年3月。友人の電話に驚く。「お宅がテレビに映ってるぞ」
山小屋を持っていたんだ、山梨県の上九一色村に。目と鼻の先にあったのがオウム真理教のサティアン。地下鉄サリン事件を受け、警察が強制捜査に入った。カルトやテロへの対策とか、今に通じる問題だよな。
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