生きて

<13> 橋龍のウインク 入閣拒否 説得され建設相に

生きて 元自民党政調会長 亀井静香さん(1936年〜)2020/2/21 9:08
「志帥会」の看板を掲げた会長代行の亀井さん(左)と村上会長(1999年3月)

「志帥会」の看板を掲げた会長代行の亀井さん(左)と村上会長(1999年3月)

 1995年9月。自民党は総裁選で、村山富市首相の次を狙う新たなリーダーに橋本龍太郎氏を選ぶ

 あのウインクは今も覚えている。橋龍は総裁選で小泉純一郎を下して立ち去る際、会場の片隅にいた俺の所まで一直線に来た。握手を求め、目をパチッと。俺が、再選を狙った河野洋平総裁の宏池会(宮沢派)に手を突っ込み、経世会にも当時親分だった小渕恵三を飛び越して橋龍の擁立を容認させたことを知ってのことだろう。感謝の印がウインクなんて。キザな奴だぜ、橋龍は。

 第2次橋本内閣の96年11月、衆院7期目だった亀井さんは2度目の入閣となる建設相に就任する

 ひと悶着(もんちゃく)があった。親友の塚原俊平の処遇を巡ってのことだ。俺は組閣前、党の地方組織固めや宣伝活動などを一手に担う組織広報本部長だった。橋龍を支えていた野中広務は、俺に「厚生大臣をやってほしい。後任は塚原にする」と言った。ところがふたを開けたら塚原は組織本部長で、広報の職が外れていた。俺は義理で動く人間だから入閣要請を断固拒否した。しかし野中から「あんたが仕掛けた内閣だろ」と度重なる説得を受け、建設大臣を引き受けることになった。

 内閣改造でお役御免になった亀井さんは98年、身を寄せていた三塚博前蔵相の派閥を飛び出す

 三塚さんは弁舌の天才でスター。安倍晋太郎先生から清和会を引き継いだが、森喜朗や小泉に実効支配されていた。方向性が合わなかった俺は、兄の郁夫や河村建夫ら20人の仲間と派閥を出た。同じ頃、渡辺美智雄元副総理の死去後に集団指導体制になっていた旧渡辺派から山崎拓のグループが離脱。そうこうしていると旧渡辺派を継いだ村上正邦さん(後に自民党参院議員会長)から一緒にやろうと声を掛けられた。

 99年、同志60人で派閥「志帥会」を立ち上げる。孟子の「志は気の帥なり」が名前の由来という

 命名したのは盟友の平沼赳夫で、初代会長は村上さん。次を江藤隆美さんに頼むと「派閥を回す金がない」って。会長代行だった俺が、工面するから大丈夫ですと説き伏せた。最高顧問は中曽根康弘元総理。いかつい連中ばかりだよ。

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