コラム・連載・特集

第1部よみがえった音色<5> 継承 常設展示、歴史も伝える

2020/4/24
改修工事中のレストハウスの前で、「明子さんのピアノ」について語る廣谷さん(左)、二口さん(中)、高野さん=7日(撮影・大川万優)

改修工事中のレストハウスの前で、「明子さんのピアノ」について語る廣谷さん(左)、二口さん(中)、高野さん=7日(撮影・大川万優)

 米国で生まれ、広島の原爆で亡くなった女子学生、河本明子さんの遺品のピアノは、平和記念公園(広島市中区)内で7月に再オープンする予定の被爆建物レストハウスで常設展示される。明子さんに思いを寄せる人々がつながり、守り伝えてきたピアノ。安らぎの場に集う人々に「平和の調べ」が届きますように―。関係者や遺族は願う。

 「窓を開けたら音色が外まで届くかしら」「説明のパネルには英訳も必要だね」。改修工事が進むレストハウスを見上げながら、「HOPEプロジェクト」(佐伯区)の中心メンバーである二口とみゑさん(70)、高野亨さん(80)、廣谷明人さん(58)は語り合った。

 HOPEは2005年に、明子さんの実家に眠っていたピアノを修復し、安佐北区で保管。コンサートや平和学習などに貸し出してきた。代表を務める二口さんは、明子さんの親戚や同級生を訪ね歩いて証言を丹念に集め、「ピアノを愛した少女」の素顔を生き生きとよみがえらせた。

 ■15年の歩み記録

 元英語教諭で被爆2世の廣谷さんは、かつて教壇に立っていた学校でのコンサートがきっかけで、二口さんと知り合った。明子さんの残した21冊の日記と、父源吉さんが英文も交えて長年書き続けた48冊もの日記を調査。膨大なページから、明子さんとピアノの歴史を「発掘」した。

 「多くの人がピアノや日記の保存に関わってきた。誰一人欠けても今はない」と、15年の歩みを振り返る元放送局社員の高野さん。三田村(現安佐北区)に住んでいた幼いころ、遠くで立ち上るきのこ雲、被爆者を運ぶ芸備線の列車を見た。二口さんの活動を裏方として支え続け、「発見」されたピアノが息を吹き返す過程を映像に記録してきた。

 ■「懐かしい音色」

 遺族も今回のレストハウスへの設置に期待する。「最近は、さらに懐かしい音色に戻っている気がするの」と、義父源吉さんの米国時代の写真を手にほほ笑む山本紀美子さん(80)=横浜市。明子さんの弟、正隆さん(故人)と結婚した60年近く前、帰省の折にまだ健在だったピアノの音色を耳にしていた。

 自身も牛田町(現東区)で被爆。近所の神社には焼けただれた人が大勢横たわっていた。その時のにおいは、今でもふとした瞬間に立ち上る。

 「実の娘のようにかわいがってくれた」という義母シヅ子さんは、「明子は裁縫も編み物も私より上手だったのよ」と語ってくれた。源吉さんは一度だけ、「最期はトマトしか食べさせるものがなかった」と涙を流したという。「あの悲しみを忘れてはいけない。ピアノが伝えてくれれば」

 レストハウスに展示される「明子さんのピアノ」は、コンサートなどの機会を除いて触れることはできない。製造から100年近く経過し、「心臓部」である弦がいつ切れるか分からない状態だからだ。ピアノの保全のために、今後は外部への貸し出しの機会も少なくせざるを得ない。

 二口さんは「大切にピアノの命をつないでいきたい」と心に決めている。父の正次郎さん(19年に98歳で死去)は53年前、原爆ドームの崩壊を食い止めるための「第1回保存工事」の現場責任者だった。「平和の象徴を次代へつなぎたい」。父と娘の思いが重なる。(西村文)=第1部おわり

【第2部日記は語る】
<1>タンバリンの少女 露教師に西洋音楽習う

【第1部よみがえった音色】
<1>発見 惨劇語るガラス片の痕【動画】
<2>残された日記 全21冊、等身大の胸の内
<3>広がる共鳴 「鍵盤の女王」心寄せる【動画】
<4>修復「古き良き時代」の響き【動画】
<5>継承 常設展示、歴史も伝える

この記事の写真

  • 義父源吉さんの昔の写真を手に、思い出を語る山本さん(横浜市)

上記の写真をクリックすると拡大して表示されます。

  • 前の記事へ
  • 次の記事へ

 あなたにおすすめの記事

平和を奏でる 明子さんのピアノの最新記事
一覧