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【武家茶道 新たな時代へ】上田宗箇流若宗匠の1年<7>流祖をしのぶ

2020/5/2
立礼台で茶を点てる若宗匠。流祖への感謝、畏敬の念などさまざまな思いが湧いてくる

立礼台で茶を点てる若宗匠。流祖への感謝、畏敬の念などさまざまな思いが湧いてくる

 ▽息吹身近に 継承へ思い

 武家茶道、上田宗箇(そうこ)流にとって、流祖忌はやはり特別な意味を持つ。宗箇が88歳で死去したのは1650(慶安3)年で、ことしは370年になる。上田流和風堂(広島市西区)では、宗冏(そうけい)家元(74)や宗篁(そうこう)若宗匠(41)が独自の茶の世界を切り開いた先達をしのぶ。茶人との関わりが深い京都・大徳寺の塔頭(たっちゅう)三玄院では毎年「宗箇忌」も営まれる。

 和風堂では上田家、師範代ら関係者だけで「宗箇祭」を執り行った。書院庭園に立礼台(りゅうれいだい)を置き、若宗匠が献茶を点(た)てる。

 和風堂には至る所に宗箇の美意識が息づく。高塀で囲んだ外路地から内路地に入ると世界は一変。木々が茂り、深山幽谷の気に満ちる。青葉を広げたカエデの下に据えてあるのは「法螺貝(ほらがい)の石」。宗箇が和歌山から運ばせた奇石だ。

 飛び石の向こうに数寄屋造りの茶室「遠鐘(えんしょう)」がたたずむ。当初は3畳台目だったが、主君の広島藩主浅野長晟(ながあきら)が狭いと指摘、1畳分増やした。広島城内の上田家上屋敷(現在の中区基町)にあったものを古絵図を基に現在地に復元した。

 セオリーであれば端にありそうな躙(にじ)り口が真ん中あたりにある。最初に建てた部分と付け足した1畳では天井の造りも異なる。「和風堂の中でも最も異質な空間」と若宗匠。伝統の日本建築に特有のわびた調和美が漂う。

 和風堂「鎖の間」は一転武家らしい構造だ。千利休が狭めていった茶室の空間を、弟子の武将茶人古田織部や宗箇が再び広げた。解き放ったというべきか。炉を切り、鎖でつるした釜(かま)をかける。武家の茶の象徴の一つ。広くした空間の緊張感をいかに保つか。さまざまな工夫を凝らしている。

 壁に施した黒い漆の縁取りもその一つ。貼付壁(はりつけかべ)には豊臣秀吉から受けた文様「陰上田桐(かげうえだぎり)」がちりばめてある。

 遠鐘は宗冏家元が1979年に再建。2005〜08年には書院屋敷を江戸期の様式に改修、鎖の間なども再現した。400年近い時を隔て、流祖が生き、愛した空間がよみがえった。

 若宗匠は「造形にしても空間にしてもオリジナリティーにあふれ、誰が見ても宗箇のものと分かる。明確な世界ができあがっているのはすごい」と、改めて存在の大きさをかみしめる。その上で「明確だからこそ代々伝えていける。私にとっても、お弟子さんにとっても(宗箇は)よりどころなんです」と力を込めた。

 ▽精進重ねた門弟に免状 相伝式

 上田宗箇流の大切な行事の一つに、門弟に免状を授与する春と秋の「相伝式」がある。この春は新型コロナウイルスの感染が広がった影響で、見送りも含め何度も協議、検討してきた。連綿と続いてきた上田家の重要な儀式であるため最少の人数で、細心の注意を払い開催した。

 宗冏家元と宗篁若宗匠が上田流和風堂の書院屋敷で門弟たちを迎えた。授与するのは免状のほか、末広と呼ぶ扇子と稽古順序を記した資料も。若宗匠が出席者一人一人に祝いの言葉を掛け、手渡していった。

 上田流の免状は7種類ある。このうち相伝式で渡すのは、第1段階の「入門小習之傳(こならいのでん)」と、当代家元在任中に1人出すか出さないかといわれる最高位「台子乱飾之傳(だいすみだれかざりのでん)」を除く5種類。小習の次に「茶桶箱之傳(さつうばこのでん)」「唐物点之傳(からものだてのでん)」「盆点之傳(ぼんだてのでん)」「台天目之傳(だいてんもくのでん)」「盆点台天目之傳(ぼんだてだいてんもくのでん)」と進む。それぞれ習得まで2〜3年程度かかるという。

 免状を受けたのは全員で38人だが、今回出席者は県内に住み、車で移動できる各伝代表1人のみとした。2日間で計5人だけとし、式次第も簡素にした。コロナウイルス対策である。

 書院屋敷の扉を開け放ち、各所に消毒液を用意。全員マスクを着け、出席者間の距離を大きく取った。鎖の間での茶席でも、同じく距離を保ち、出席者個々に点(た)て出しの薄茶を振る舞った。通常設ける祝膳や濃茶席は見送り、コロナが落ち着くのを待ち、改めて機会をつくることにする。

 若宗匠は「現在ほとんどの行事を中止にせざるを得ないけれど、これだけは実施しなければならない大切な大切な儀式。精進を重ねたお弟子さんたちの晴れ舞台は今後時期をみて、また準備したい」と、相伝式の重みを強調した。

 文・林仁志編集委員、写真と動画・高橋洋史、宮原滋。 

この記事の写真

  • 鎖につるした釜が音を立てる。鎖の間は武家の茶らしいしつらいになっている
  • 書院庭園に集まり、流祖をしのぶ上田家や師範代たち関係者
  • 遠鐘内部。奥の1畳部分は天井の造りも異なり、若宗匠は「和風堂の中でも異質な空間」と説明する
  • カエデの青葉の向こうに見える扁(へん)額。遠鐘の文字は京都・大徳寺の第515世住持を務めた藤井誡堂老師に書いてもらったという
  • 相伝式であいさつする宗冏家元(奥右)と若宗匠(同左)

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