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【ヒロシマの空白 被爆75年】朝鮮人被爆死、把握漏れ 広島市、45年末まで相当数か

2020/6/8
韓国原爆被害者協会の陜川支部が入る陜川原爆資料館

韓国原爆被害者協会の陜川支部が入る陜川原爆資料館

 朝鮮半島出身者で日本の植民地時代に広島で被爆し、1945年年末までに死亡した人たちの一部が広島市の死没者調査で把握されていないとみられることが7日、韓国の被爆者団体の資料から明らかになった。漏れは相当数に上るとみられる。

 ▽韓国側の資料で判明

 中国新聞が韓国原爆被害者協会の陜川(ハプチョン)支部の許可を得て、70年代初めに作成されたとみられる協会員約250人分の「身上記録」など複数の資料を閲覧。広島原爆の犠牲者の名前を抽出し、うち死亡診断書や他の行政資料で情報の裏付けが取れたり、遺族の委任状を得ることができたりした11人の情報を市に照会した。

 市はいまだ明らかになっていない原爆被害の実態をつかむため、79年度から原爆死没者の名前を集めて積み上げる「原爆被爆者動態調査」を続けている。市によると、そのデータの中に11人の名前や生年月日などが完全一致する情報は見つかっていない。

 動態調査は、被爆者健康手帳の交付申請書に記入された「被爆時の家族状況」や、動員学徒の死没者名簿などを情報源にしている。しかし海外の被爆者団体や公的機関の資料は対象にしていない。今後、活用を検討するという。

 在外被爆者を巡っては、日本政府が2003年まで被爆者援護の対象から排除していた経緯がある。市調査課の河野一二課長は「動態調査で11人の名前が見つからない理由は定かではないが、外国の被爆者に関する情報を把握しにくい時期はあった」と説明する。

 米国によって原爆が投下された当時、貧困から逃れるため、あるいは徴用などで多くの人が朝鮮半島から日本に来ていた。市民団体「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の市場淳子会長(大阪府豊中市)は「植民地支配と戦争という日本の国策の中で犠牲になり、生き残った人も戦後に苦難を強いられた。この歴史を踏まえ、日本政府が自ら原爆被害の実態解明に努めるべきだ」と話している。(小林可奈)

つなぐ責務<1>市民の手で 75年経て肉親記載へ

つなぐ責務<2>遺族捜し 「まだ発見あるはず」

つなぐ責務<3>資料の活用 公開情報に眠る事実

つなぐ責務<4>問い直す 援護の外、見えぬ被害

つなぐ責務<5>被害実態の発信 「絶対悪」繰り返させぬ

つなぐ責務<6>諦めない 一人一人の命、忘れぬ

被害に迫る営みを未来へ

埋もれた犠牲者、海外にも

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