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【ヒロシマの空白 被爆75年】被害に迫る営みを未来へ

2020/6/15
「継承塾」を開くANT―Hiroshimaの渡部理事長(左)と歩みを振り返る鎌田さん(中)。担当スタッフの渡部久仁子さん(右)は塾の1期生でもある(撮影・安部慶彦)

「継承塾」を開くANT―Hiroshimaの渡部理事長(左)と歩みを振り返る鎌田さん(中)。担当スタッフの渡部久仁子さん(右)は塾の1期生でもある(撮影・安部慶彦)

 広島と長崎の原爆被害の大規模な全容調査に、日本政府が率先して乗り出したことはいまだかつてない。そんな中でも被爆地の行政と市民は、地道に調査と記録を積み重ねてきた。医師たちは、生き延びて放射線の健康影響への不安を抱える被爆者と日々向き合う。広島市の原爆死没者名簿には、今年も新たに死者の名が記される。ヒロシマの「空白」を一片ずつ埋める努力は、これからも続く営みだ。被爆75年の夏から未来に向けて、何ができるか。「継承」の現在地から考える。

 ▽放射線、終わらぬ苦しみ 医師、被爆者に寄り添い調査

 広島大名誉教授の鎌田七男さん(83)は、被爆者が抱える苦しみをこう表現する。「生涯、原爆から虐待を受け続けているようなものです」。被爆者と長年接する血液内科の医師であり、後になって病気を発症する「原爆後障害」研究の第一人者。鎌田さんの言う「虐待」は、自らの研究成果に基づく実感だ。

 広島大原爆放射能医学研究所(当時)の所長も務めた鎌田さんは、爆心地から500メートル以内で奇跡的に一命を取り留めた78人を対象に、1970年代から健康状態の変化や死因を追跡調査している。「死亡率ほぼ100%」の距離で、大半が1シーベルト以上の線量を浴びたと推定される。

 調査は、丁寧な問診や語り合いを伴う。鎌田さんによると、原爆放射線によって体が弱り、働くこともままならない生活を送った人が少なくない。周囲の偏見から、就職や結婚で困難に直面した。そんな調査対象者の心身両面を気遣いながら「人間としての付き合い」を続け、78人のうち何人かは自らみとった。

 ■目立つ「多重がん」

 一定量以上の放射線を浴びれば、下痢や脱毛などの急性症状に襲われることが知られている。一方で長期的な影響については、徐々に分かってきたことが多い。その一つが「多重がん」だ。高齢の被爆者の間で、「転移」とは違う複数の固形がんの発生が目立つという。78人の中には、病理解剖で4カ所目のがんを見つけたケースもあった。

 鎌田さんたち研究者が少しずつ解明している医学的な「空白」。被爆者には、新たに突きつけられる残酷な科学的事実でもある。

 白血病は原爆投下から5〜10年後、死亡増加のピークに達し、以後減少した。しかし被爆から60年以上たって、今度は白血病の前段階という「骨髄異形成症候群(MDS)」の増加が明らかになった。「それだけ放射線がいろんな遺伝子を傷つけたということ」。核兵器の非人道性を物語る。78人だった調査対象は現在7人。追跡は続く。

 昨年展示リニューアルを終えた原爆資料館(広島市中区)は、犠牲者の遺品展示とともに、被爆者の生涯にわたる健康被害と現状を巡る情報発信を強化した。館内の情報端末「メディアテーブル」に爆心地から約850メートルで被爆した児玉光雄さん(87)=南区=の「傷ついた染色体」の画像や「病歴」を新たに加えた。

 児玉さんは胃、皮膚などのがん手術を20回以上繰り返し、3年前にMDSの診断も受けた。加藤秀一副館長は、国内外から訪れる要人を案内する際、この画像を見てもらうという。「70年以上たっても被爆者を苦しめているのが核兵器なのだと知ってほしい」

 ■若者たちへの継承

 被爆者健康手帳を持つ人は、昨年3月末で14万5844人。放射線は、がんだけでなく心筋梗塞などの発生率も増加させていると報告されている。健康被害の解明を巡る研究者たちの努力は、まだ途上だ。

 鎌田さんは、放射能を帯びたちりを吸い込むなどによる「内部被曝(ひばく)」の健康影響にも、研究の幅を広げている。合わせて、ヒロシマを若い人たちに多角的に学んでもらおうと、中区のNPO法人ANT―Hiroshima(渡部朋子理事長)が開く「継承塾」の講師を務める。決して「歴史」ではなく、現在も続く原爆被害。どう記録し伝えるべきか―。次世代に「思い」と「科学的知見」を託す。

 ▽犠牲者の把握、糸口残る 遺族や資料の取材で明らかに

 1960年代後半から、原爆で消し去られた爆心直下の広島の街並みを戸別地図で再現する「復元調査」が行われた。官民挙げた調査を主導した広島大教授の故志水清さんは、78年刊行の調査報告書で、犠牲者の実数をつかむ努力を継続するよう訴えた。

 「核の犠牲にかかわりのある市民にとっては、原爆被災の全体像が科学的に明らかにされるまでは、戦後は終わらないであろう」

 復元調査は、1軒単位で被害を詳細に記録した。鎌田七男さんが近距離被爆した78人を追跡調査する基礎になった。復元調査で得られたデータを土台に、広島市は、79年度から死没者名を積み上げる「原爆被爆者動態調査」を続けている。

 「45年末までの犠牲者数」としての推計値「14万人±1万人」に対し、市が動態調査を通じて昨年3月末時点で確認できたのは8万9025人。近年、手詰まり感は否めない。しかし「空白」が未来に持ち越され、固定化することは極力避けなければならないだろう。

 一家が全滅してしまった世帯、単身で広島に来ていた軍人、朝鮮半島出身者ら―。動態調査から漏れていた実態が、遺族の証言聞き取りや、資料を掘り起こす取材から浮かび上がった。

 大勢を一気に把握することは難しくても、一人一人の命と名前を見いだす糸口はまだあることが見えた。例えば都道府県が持つ戦没者の関連資料や、韓国など海外の被爆者団体の名簿類などが今も眠っている。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、遺族からの申請で亡くなった人の遺影と名前を登録している。市の動態調査に反映されておらず、国と市の連携が必要だ。

 志水さんは、復元調査の限界を踏まえて「国家的規模の調査」の必要性を説いた。しかし国は、被爆者健康手帳を持つ人を対象にした限定的な死没者調査しか行っていない。

 ▽「白書」作り、世界へ発信を

 戦後、原爆被害の全容に迫りながら世界に発信する「白書」を作ろう、という運動が被爆地で盛り上がった。一般的には政府の公式調査報告書が「白書」と呼ばれるが、より広い、官民挙げての総合的な報告書を求める声でもあった。

 「原水爆被害白書」を作って国連に提出を、と1964年に提唱したのが中国新聞論説委員を務めた故金井利博氏だった。「原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか」と問うた。「核」を国家の論理ではなく、人間の痛みとして捉えるまなざしだ。研究者や文化人たちに賛同が広がり、「復元調査」などを加速させた。被爆地の行政も動いた。

 白書作りは国の責任であるとして、要望活動も展開したが、政府は消極的だった。広島、長崎両市は、医学や社会学など多様な分野の専門家に編さんを依頼。79年、当時の知見を集約した504ページの「広島・長崎の原爆災害」として一冊に結実した。英語版も作成して世界に発信した。

 同書は、原爆被害の実態は未解明の点が多いことを認め「国民の熱意が本書の不備を正す」よう「あとがき」で求める。

 白書作りに自ら取り組もうとしなかった日本政府だが、2013年度に外務省の報告書は作成されている。「核兵器の非人道性」への関心の高まりを受けて、外務省は鎌田七男さんや、日赤長崎原爆病院の朝長万左男名誉院長ら専門家5人に核兵器使用の影響に関する研究を委託した。

 日英両語で公表された83ページの報告書は、骨髄異形成症候群(MDS)の増加など、最新の科学的知見をふんだんに盛り込む。しかし外務省は冒頭に「必ずしも日本政府の見解を代表するものではない」とただし書きを加えた。「核兵器の本当の『非人道性』を世界に知らせたい」という鎌田さんたちの願いと裏腹に、政府がこの報告書を前面に生かしたとはいいがたい。

 原爆がもたらした「人間的悲惨」を網羅し、世界に発信することは、被爆地と被爆国の変わらぬ務めだろう。国と広島、長崎両市、市民、被爆者、研究者が力を合わせて編むべき「21世紀の白書」が、未完の宿題ではないだろうか。(水川恭輔、山本祐司)

つなぐ責務<1>市民の手で 75年経て肉親記載へ

つなぐ責務<2>遺族捜し 「まだ発見あるはず」

つなぐ責務<3>資料の活用 公開情報に眠る事実

つなぐ責務<4>問い直す 援護の外、見えぬ被害

つなぐ責務<5>被害実態の発信 「絶対悪」繰り返させぬ

つなぐ責務<6>諦めない 一人一人の命、忘れぬ

埋もれた犠牲者、海外にも

朝鮮人被爆死、把握漏れ 広島市、45年末まで相当数か

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  • 1979年に発行された「広島・長崎の原爆災害」

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