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異端の岩国 <上> 長州といわれても 「格下」扱い、毛利に反発

2020/7/6 21:34
岩国市岩国の町並みで再現された「こぬか盆踊り」。住民たちの熱気があふれた(山代屋会長提供)

岩国市岩国の町並みで再現された「こぬか盆踊り」。住民たちの熱気があふれた(山代屋会長提供)

 ▽独歩の気風 今につながる

 江戸時代に岩国領を治めた毛利氏の一族吉川氏の名をたどるとあることに気付く。初代領主の吉川広家から5代広逵(ひろみち)までは毛利氏が祖とする鎌倉時代の大江広元にちなみ名前に「広」が付く。一方、6代経永からは「経」の一字に変わっている。

 安芸(現広島県)の有力国人だった吉川家は、毛利元就に次男元春を養子に送り込まれ乗っ取られた。一方、元々の吉川家の始祖の名は「経義」。「長州本藩の毛利氏と吉川氏は微妙な間柄だった。『経』を使うようになったのは『吉川家は毛利家ではない』という独立意識があったからではないか」と岩国徴古館の松岡智訓副館長は推察する。

 ▽関ケ原「裏切り」

 両家の関係はどのようなものだったのか。話は天下分け目の関ケ原の戦いにまでさかのぼる。

 関ケ原で西軍の毛利が陣を張ったのは家康本陣後方の南宮山。戦いが始まると毛利秀元や安国寺恵瓊ら毛利勢は山を下りようとしたが、先陣の広家が道を譲らない。結局、毛利は戦わぬまま戦場を離脱。東軍の勝利を確信し家康に内通した広家のはかりごとだったが、当主の輝元が西軍の総大将に祭り上げられていた毛利は戦後、中国9カ国から現在の山口県東部の周防と西部の長門の2カ国に減封された。

 そうしたことから毛利本家の家臣は裏切り者広家のせいで萩に押し込められたと恨む一方、吉川家では広家のおかげで毛利は西軍に属しながら取りつぶされずに済んだと反論。江戸時代を通じ吉川家が一門の徳山藩主や長府藩主より格下の岩国領主とされたのも両家の遺恨が背景にあるともいわれる。吉川家の当主の名から毛利ブランドを排除し、始祖にあやかるようになったことには本家への屈折した思いがにじむ。こうした対抗意識は岩国の領民にも根付く。

 「神か仏か岩国さまは扇子一つで槍(やり)の中」。岩国の民俗芸能「小糠(こぬか)踊り」の一節は幕末の第一次長州征伐の降伏交渉で幕府方の西郷隆盛と渡り合った12代当主経幹(つねまさ)をたたえたもの。

 小糠踊りは現代のサラリーマン川柳のように庶民が日常の悲喜こもごもをユーモアを込めて即興で歌う。先の歌詞からは強大な幕府軍を前にうろたえる萩の本藩を尻目に、超然と危機に向き合う「おらが殿様」の活躍に快哉(かいさい)を叫ぶ庶民の心情が浮かび上がる。小糠踊保存会の山代屋友市会長(84)は「今も市民の誇りとして歌い継がれている」と胸を張る。

 ▽周防岩国の意識

 山口の他地域とは一線を画す岩国の気風は現在でも時折顔をのぞかせる。

 今年5月7日、岩国市は新型コロナウイルスの影響で休校していた小中学校の授業を再開した。ほかの市町が県に倣い25日まで休校を続ける中、独自に再開を決めたことに県内では驚きの声もあった。元市文化財専門員の松岡睦彦さん(81)は「時に中央の県の決定になびかず物事を決めたがるのは岩国領時代の名残かもしれませんね」と笑う。

 また、長州藩が幕府を打ち破った明治維新から150周年に沸いた2年前。県内で多くの関連イベントが催されたが、旧岩国領を継承する市中心部では住民主催の大きな行事はほとんどなかった。松岡さんも「岩国では全然盛り上がらなかった」という。

 防長2カ国を有しながら本拠地を萩に置いたことから長州人とひとくくりにされることが多い山口県人。しかしながら作家の司馬遼太郎は随筆「司馬遼太郎が考えたこと」の中で長州人と呼ばれることを嫌い、「周防岩国」とただした知人を引き合いに指摘する。

 「長州領域ながら毛利家の家臣から嫌われ、岩国人もまた幕末のぎりぎりまでは、みずからを非長州的な気分のなかで規定してきた。しかしながら、歴史的には毛利グループの勁烈(けいれつ)な根幹の一つであったという点で、岩国は矛盾を含んだ風土だった」(加田智之)

    ◇

 歴史的経緯で傍流とされたかつての支配者や軍事都市の側面、隣県広島の強い影響などさまざまな顔を持つ県東部最大の都市岩国。長州とひとくくりにされがちな県内で「異端」なまちの事情を探る。

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