「原爆の日」特集

被爆75年、認定「やっと」 「黒い雨」訴訟の原告歓喜「控訴断念求める」

2020ヒロシマ2020/7/30 14:43
「黒い雨」訴訟の全面勝訴判決を受け、報告集会で万歳をして喜ぶ原告や弁護人(撮影・高橋洋史)

「黒い雨」訴訟の全面勝訴判決を受け、報告集会で万歳をして喜ぶ原告や弁護人(撮影・高橋洋史)

 被爆75年の夏、提訴から4年9カ月の時を経てようやく「吉報」が届いた。原爆投下後に降った放射性物質を含む「黒い雨」を巡る訴訟で29日、広島地裁は原告の84人全員を被爆者と認定する判決を言い渡した。「画期的な判決だ」「やっと認めてもらえた」―。老いと向き合ってきた原告に歓喜が広がった。

 広島地裁の302号法廷。午後2時、高島義行裁判長が主文を読み上げた。「被爆者健康手帳交付申請の却下処分をいずれも取り消す」。その瞬間、弁護団が笑顔を見せた。原告団の高野正明団長(82)は法廷で判決を聞いたが耳が遠く、その表情で勝訴と分かった。「本当の勝利は国の判断基準が変わったとき」。うれしさよりも身が引き締まる思いだったという。

 判決後、地裁そばの広島弁護士会館であった報告集会には支援者も集まり、喜びをかみしめた。幼少期は貧血が続き、成人してからは心疾患や白内障を発症した原告の沖昌子さん(79)=広島市佐伯区=は「体の不調に悩まされてきたのに、被爆のせいだと認めてもらえないのはつらかった。頑張ってよかった」と涙を流した。参加者は万歳して喜びを分かち合った。

 被爆者として公的な援護を受けられるかどうかの境界は、援護対象区域として「大雨地域」を指定した1976年の国の「線引き」による。原告たちは訴訟の中で「川をはさんで向こう側は放射能の雨。こちら側はただの雨。納得できない」「住民がいがみ合う原因にもなっている」。そう訴えてきた。

 「『おたくは範囲じゃない』と申請書類すら受け取ってもらえなかった。もう認めてもらえないと思っていた」。広島市佐伯区の隅谷芳子さん(80)は、安芸太田町の自宅そばで弟と遊び回っているさなかに黒い雨を浴び、2009年に大腸がんも患った。申請の却下で、青年期や幼少期の記憶を否定されたとの思いを抱いた原告も少なくない。

 原告は70〜90歳代。提訴から16人が判決を聞けずに亡くなった。原告団をけん引し、今年3月に94歳で亡くなった松本正行副団長の長男信男さん(63)=安芸太田町=は「父たちの信念が通ったということでしょう。もう半年でも長く生きてくれたら…。それでもきっと本人も喜んでいると思います」。孫が墓前に全面勝訴を報告したという。

 「控訴を断念させるために明日から行動していく」と高野団長。原告団と弁護団は30日、広島市や県に思いを訴えに行く。

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