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【ヒロシマの空白 被爆75年】8・6前日、笑顔のわが家 広島の茶葉店、写真を展示

2020/8/2
店内の棚に被爆前の綿岡家の写真を並べる岩田さん。手前の1枚が裕乃さん(右)と公乃さん(撮影・藤井康正)

店内の棚に被爆前の綿岡家の写真を並べる岩田さん。手前の1枚が裕乃さん(右)と公乃さん(撮影・藤井康正)

 広島市中区十日市町の茶葉専門店「綿岡大雅園」に、原爆で両親と妹3人を失った綿岡智津子さん(2011年に82歳で死去)が大切にしていた家族写真が保管されている。原爆投下の前日の撮影とみられる。「75年前に奪われた日常を伝えたい」。店を継ぐ長女の岩田美穂さん(62)は7月末、店内にささやかな展示スペースを設けた。

 ワンピース姿ではにかむ2人の女の子。口元から、生え替わり始めた歯ものぞく。智津子さんの妹の裕乃さん=当時(6)=と公乃さん=同(3)=だ。「戦争中とは感じさせない。今の子どもと変わらない笑顔です」と岩田さんが目を細めた。

 綿岡大雅園は智津子さんの父・重美さんと母・光子さんが営む茶問屋だった。一家が郊外へ疎開するのを前に、写真館に頼んで自宅で数枚撮ったという。8月6日、爆心地から約740メートルの自宅と一帯は壊滅した。

 16歳だった智津子さんが動員先の軍需工場から自宅跡に戻ると、黒焦げの父と裕乃さんが横たわり、公乃さんは母と抱き合ったまま息絶えていた。もう一人の妹香代子さん=同(12)=も犠牲になった。生前の5人を最後に捉えたカットは、写真館で焼失を免れた。

 結婚後に夫と店を再建した智津子さんは「家族についてぽつり、ぽつりと話すだけでした」と岩田さんは振り返る。本紙連載「ヒロシマの空白 街並み再現」の取材を受けたのを機に、被爆前の茶問屋の写真とともに店に並べようと思い立った。

 生前の智津子さんの思いを、お客さんも感じ取ってくれている。来店した野坂和子さん(68)は展示に見入り「家族が一瞬のうちに消されたのだと実感させられます」と涙ぐんだ。

 家族写真のうち1枚が絵本や教科書に取り上げられており、岩田さんは小中学校の平和学習に呼ばれることも多い。6日、石内北小(佐伯区)で児童に語る。(桑島美帆)

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