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第3部 協奏曲に乗せて<上> 被爆3世、代役に使命感 ピアニスト 萩原麻未

2020/8/3
「明子さんの思いを演奏に込めたい」と話す萩原麻未(撮影・安部慶彦)

「明子さんの思いを演奏に込めたい」と話す萩原麻未(撮影・安部慶彦)

 広島に巡り来た被爆75年の夏。原爆で亡くなった女子学生・河本明子さんの生涯を描くピアノ協奏曲「Akiko’s Piano」が5、6日、広島に響く。世界初演する広島交響楽団とともに、明子さんの遺品である被爆ピアノも音色を放つ。ソリストは被爆3世のピアニスト萩原麻未、タクトは広響音楽総監督の下野竜也、作曲は藤倉大。3人に「明子さんのピアノ」に寄せる思いを聞いた。

 「アルゲリッチさんは雲の上の存在。代役を光栄に思う」。新型コロナウイルスの感染拡大で、ソリストを務めるはずだった世界最高峰のピアニスト、マルタ・アルゲリッチの来日が困難になり、6月に急きょ出演を打診された。

 ▽観客のため決意

 今年は本格的なデビューから10年。夏からの半年間を充電期間と決め、「Akiko―」は客席で聴くのを心待ちにしていた。コロナ禍で自らのリサイタルも延期が相次ぐ中、小学校の卒業文集に書いた「将来の夢」を思い出した。「人の役に立つピアニストになりたい」。演奏会を待ち望む観客のために出演を決意した。

 「未知の響きに満ちた作風。新しい感覚を目覚めさせてくれる」。作曲家の藤倉とは旧知の仲。昨秋には映画「蜜蜂と遠雷」の藤倉作の劇中曲を音楽祭で披露した。期せずして「Akiko―」で再びタッグを組む。

 「明子さんのピアノ」との出会いは2013年にさかのぼる。原爆の日のテレビ中継の際、中区の神崎小の児童たちの前でこのピアノを初めて弾いた。「話し掛けるような、温かい音色に心を奪われた」

 それ以来、広島や東京で明子さんのピアノを度々演奏してきた。昨夏、南区の広島港に寄港した非政府組織(NGO)ピースボート(東京)の船上コンサートでは、夫のバイオリニスト成田達輝と共演。平和への祈りをハーモニーに込めた。

 ▽祖父も当時19歳

 母方の祖父母は、それぞれ爆心地から1・6キロ、1・8キロで被爆。被爆3世としての使命を強く抱くようになったのは、18歳でパリに渡った留学がきっかけだった。「出身地を伝えると、ヒロシマを知らない人は一人もいなかった」

 この2月に亡くなった祖父は、被爆当時19歳だった明子さんと同い年だった。あの日、たまたま自宅で家族と口論になって出勤が遅れ、生き延びた。祖母は自宅前の細い道路が延焼を押しとどめたのが救いになった。「祖父母が死去していたら、私は生まれていなかった」。75年前の8月6日と地続きにある自身の命に思いをはせる。

 明子さんとピアノはともに1926年に米国で生まれ、33年に一緒に海を渡って広島へ来た。すり減った鍵盤は、戦争の時代に翻弄(ほんろう)されながらもピアノを愛し続けた少女の面影を伝える。

 「Akiko―」のピアノパートの大部分はグランドピアノを用いるが、カデンツァ(独奏部分)は明子さんのピアノを弾く。「遺されたピアノによって新しい音楽が誕生する。明子さんに喜んでもらいたい」。原爆で未来を絶たれた少女に寄り添い、作品に命を吹き込む。(西村文)

 はぎわら・まみ 広島市安佐南区出身。広島音楽高を卒業後、パリ国立高等音楽院に留学。2010年、スイス・ジュネーブ国際音楽コンクールピアノ部門で日本人として初めて優勝。東京都在住。

    ◇

 「Akiko’s Piano」を奏でる「平和の夕べ」コンサートは広島文化学園HBGホール(中区)で5、6日、いずれも午後6時45分に開演。広響事務局Tel082(532)3080。

【第3部協奏曲に乗せて】

<上> 被爆3世、代役に使命感 ピアニスト 萩原麻未
<中> 戦争の現実感、指先から 指揮者 下野竜也
<下> 少女の生涯に寄り添う 作曲家 藤倉大
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