「原爆の日」特集

【ドキュメント8・6(1)】被爆75年、鎮魂そして祈り…

2020ヒロシマ2020/8/6
慰霊碑前 6日午前0時22分

慰霊碑前 6日午前0時22分

 広島は6日、米国による原爆投下で街が壊滅してから75年となる「原爆の日」を迎えた。新型コロナウイルスの感染が再拡大する中、広島市が原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)を営んだ中区の平和記念公園の周辺を中国新聞の記者が歩き、非人道的な兵器による犠牲者を追悼する節目の1日を追った。

【写真特集(1)】8月6日、式典前に


 0・00 「生きて行く 草木も生えぬヒロシマに カンナが咲いた 私は生きる」。原爆ドームのそばで、中区の派遣社員中岡忠司さん(42)が句を詠んだ。被爆者だった祖母を2013年に亡くしてから毎年ここで句を詠み、遺族として平和記念式典に参列してきた。ことしは新型コロナの影響で参列できないため、テレビで見届けるという。「被爆75年という大切な節目の式典が縮小され、残念でならない。コロナのせいで記憶の風化が加速するのではないかと心配だ」と話した。

 0・10 中区の自営業浅野むつみさん(58)は、マスク姿で原爆慰霊碑に手を合わせた。人けのまばらな平和記念公園を見渡し、「この時間帯に、こんなに人が少ないのは初めて」。新型コロナの感染防止のため、市は平和記念式典への来場自粛を呼び掛けている。「あまりにも人がいなかったので、今年はこの時間でも一般の来場者が入れないのかと思った」

 0・15 親族10人の先頭で、中区の理容師湊川妙子さん(77)が原爆慰霊碑に手を合わせた。親類に被爆者はいないが、3世代で毎年訪れている。「広島に暮らす者として欠かせないこと。子どもたちも同じ思いで一緒に来てくれている」と目を細める。来年はひ孫も含めた4世代で足を運ぶ計画で「ひ孫の代になっても平和な世の中であってほしい」と願った。

 0・40 安佐南区のフォトグラファー原野憂己さん(39)が、原爆の子の像や折り鶴を撮影していた。原爆の日を迎えた広島の市街地を24時間撮影し、記録する。「8・6がどんな日なのか、世界の人に知ってもらいたい。新型コロナ禍の中での式典は二度とないかもしれない」と語った。

 1・00 呉市の今村隆由さん(76)が元安川の近くのベンチに座り、原爆ドームを見つめた。1歳の時に警察官だった父英幸さん(当時33歳)を原爆で亡くした。父の遺体は見つからず、残っていた髪の毛と爪だけを墓に入れたという。戦後は食糧難に苦しみ、中学時代からアルバイトをして家計を支えた。毎年父の墓参りをして平和記念公園を訪れる。「戦争は弱者ほど苦しめる。戦争は絶対やってはいけない」と力を込めた。

 1・30 西区の専門学生小谷優月さん(19)が、ともに食事をした西区の加藤瑚涼さん(19)、中区の長嶋雄大さん(36)の友人3人で、原爆の子の像横の説明を読んでいた。少し前に、原爆慰霊碑で手を合わせたという。「被爆者の高齢化は進んでいるが、原爆が落とされたことを忘れてはいけない」と真剣に話した。

 2・05 「今日という日は忘れちゃいけんのよ」。平和記念公園を訪れた中区の会社員佐々木寿さん(36)は、国泰寺中1年の次男来輝さん(12)に語り掛けた。20歳で被爆した祖母の顔のやけどの跡が記憶から離れない。「20歳の女性が顔にやけどを負うのがどんなにつらいことだったろうか。自分に子どもができて、あらためて実感した」と回顧。新型コロナの影響で夏休みが始まっていないという来輝さんは「戦争を経て、75年続いてきた平和を次の世代につなぐ」と誓った。

 2・30 呉市の画家鷹取昌史さん(58)が、原爆投下直後に多くの人が水を求めて命を落とした元安川で拾った木を、丁寧に削っていた。約10年前から年間100日近く、元安川の清掃をしているという。拾い集めた木は自宅のアトリエで保管し、現在は千本ほど。今後は木を使って作品を作るワークショップを検討しており「平和について考えてもらう機会を提供したい」。

 3・15 「夫は今も被爆者健康手帳を手にできていない」。南区の前原光子さん(81)は両親の眠る原爆慰霊碑前で、夫が被爆した段原の方向を見やった。夫の両親が差別や偏見を恐れ、被爆者健康手帳の取得手続きをとらなかったためという。7月29日には、原爆投下後に降った「黒い雨」に国の援護対象区域外で遭った広島県内の原告全員に手帳の交付を命じる判決が出たばかり。前原さんは「夫のような境遇で、手帳を取得できなかった人が多くいることも知ってほしい」と願った。

 3・20 中区の飲食店従業員西本浩紀さん(46)が仕事帰りに元安橋の中腹で自転車を止め、スマートフォンで原爆ドームを撮影していた。毎年、自身の会員制交流サイト(SNS)に投稿しているという。「東京で暮らしていた9年間、原爆の日の広島の情報に触れる機会は少なかった。8・6を多くの人に知ってもらうきっかけになればいい」と語った。

 3・40 南区のミュージシャン山本優一郎さん(46)が、原爆の子の像に1羽の折り鶴をささげた。8・6のために毎年作曲し、その楽譜で鶴を折る取り組みを、20年以上続けているという。「この時間帯が1番、原爆の投下に思いをはせられる」。新型コロナの感染拡大があった今年は「曲の始まりを少し雑然とした感じで仕上げた」と説明した。

 4・30 まだ暗い中、平和記念式典に携わる広島市の職員たちが会場に集まり始める。原爆慰霊碑の両隣に設置された大型モニターにテスト映像が映し出され、周囲に光を放った。

 5・15 平和記念式典の会場周辺の入場規制が始まる。午前7時までは、元安川沿いの東から原爆慰霊碑前へ進み、慰霊碑西側で方向転換して北へ抜けるL字形の慰霊のルートが設けられる。市職員が「参拝者入口」の看板を立てると、並んでいた市民たち10人が進んでいった。

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