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「場」の記憶

2020/8/6

 峠三吉の詩「倉庫の記録」は旧陸軍被服支廠の「その日」から始まる。〈高い格子窓だけのうす暗いコンクリートの床。そのうえに軍用毛布を一枚敷いて、逃げて来た者たちが向きむきに横(よこた)わっている〉。広島に原爆が投下されて間もなく臨時の救護所となった▲爆心地から2・7キロ。軍都の歴史を刻む赤れんがの巨大建造物は焼失を免れ、負傷者でいっぱいになる。「足のふみ場もなくころがっている」。建物の前に立つと峠の詩句が頭に浮かぶ▲様変わりした街で、当時に思いが至るのは、この物言わぬ証人あってこそだろう。被爆75年のことし全面保存を求める声が高まっている。記憶を宿す場に身を置くことで追体験ができる。その重みを、多くの人が痛感しているからに違いない▲被服支廠に限るまい。原爆で焼き尽くされた広島の足元には今も無数のしかばねが眠る。被爆した人が逃げたり運ばれたりした地も多かろう。峠は別の詩にはこんな一節も見える。〈白骨を地ならした此(こ)の都市の上に/おれたちも/生きた 墓標〉▲きょう原爆の日。コロナ禍で原爆慰霊碑や爆心地には集えなくとも、私たち一人一人と「その日」をつなぐ場所はそこかしこにある。

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