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【武家茶道 新たな時代へ】上田宗箇流若宗匠の1年<10>ヒロシマと向き合う

2020/8/8 19:49
縮景園で最期を迎えた原爆の犠牲者に花を供える若宗匠(左から2人目)。平和な日常のありがたさをかみしめる

縮景園で最期を迎えた原爆の犠牲者に花を供える若宗匠(左から2人目)。平和な日常のありがたさをかみしめる

 ▽献茶 75年前の夏に思い

 風はやみ、開け放った座敷にせみ時雨が降り注いでくる。池にはコイが群れ泳ぎ、中島ではアオサギが羽を休める。

 国名勝縮景園(広島市中区)の清風館で1日営まれた「原爆犠牲者慰霊供養式」。参列した武家茶道上田宗箇(そうこ)流の上田宗篁(そうこう)若宗匠(42)は、穏やかな光景に目をやり、75年前の夏に思いをはせた。

 供養式では白菊の花を供え、立礼台(りゅうれいだい)で点(た)てた茶を献じた。「当たり前の日常を当たり前だと思ってはいけない。そう考えさせられます」。額の汗を拭おうともせず、口元を引き締めた。

 爆心地から1キロ余り。縮景園も焼き尽くされ、園内ではあまたの老若男女が絶命した。1987年の発掘調査では、64体の遺骨が見つかっている。犠牲者のごく一部と言われる。

 翌年、地元町内会などでつくる供養会が慰霊碑を建てた。以来、夏の供養式は続いている。

 400年前にできた縮景園は、そもそも広島藩主浅野家の別邸庭園だった。作庭者は、重臣で上田家初代の宗箇である。原爆で壊滅した園の復旧に際しても、上田家に残る江戸後期の古絵図が役に立ったという。

 上田家と園の強いつながりもあり、供養会の初代会長に就いたのは15代宗源家元(故人)だった。今は16代宗冏(そうけい)家元(75)が継ぎ、毎年供養式で上田流の献茶を執り行っている。

 江戸時代、上田家の上屋敷は広島城内の基町地区(中区)にあった。明治4(1871)年に立ち退いて舟入地区(同)の下屋敷へ。今の古江地区(西区)に居を定めたのは昭和の初めごろだ。家屋のガラスが吹き飛ぶなど原爆の被害は受けたが、茶道具や文書類は戦災を免れた。

 とはいえ、宗冏家元も原爆で祖父母と父を亡くし、母の実家である上田家を頼った。門弟の多くも犠牲になっている。上田家にとって、8月の慰霊行事は重い意味を持っているという。

 原爆の日の6日。若宗匠は上田流和風堂(西区)にいた。敷地内の浅方社で午前8時に茶を点て、原爆投下時刻の15分に合わせ黙祷(とう)した。例年は、平和記念公園(中区)に赴き、広島国際会議場で平和記念式典の参列者らに茶や菓子を振る舞う。今夏は新型コロナウイルスの影響で式典が縮小され、見送りになった。

 献茶の様子は動画投稿サイト「ユーチューブ」でライブ配信した。「僕だけでなく会場に行きたくてもいけなかった人がたくさんいるはず。皆さんと一緒に祈りたいと思ったんです」

 ▽コロナ禍 ウェブで茶の心

 カメラを通して宗篁若宗匠が語り掛ける。

 7月26日、松涛(しょうとう)の間をスタジオにして、和風堂は初のウェブ講習会を開いた。「広島では形を変えて稽古を再開しましたが、新型コロナウイルスの関係で地域によってはまだ再開できないところもあります」などと開催理由を説明。試行ということもあり、第1回でなく「第0回」とした。先着順で集めた門弟限定100人が聴講者だ。

 テーマは「立礼台の可能性」。椅子に座って茶を点てる際に用いる道具だ。脚を痛め、今は正座が困難な若宗匠が使いやすいよう特注した品を例として紹介。映像を通してさまざまな仕掛けも確かめてもらった。

 さらに和室がない家もあるなど生活様式の変化、海外からの訪問客が多い広島の事情なども挙げ、「立礼の方が茶道にすんなりと入っていけるケースもあるのではないでしょうか」などと述べた。

 1時間半の講習会の途中から福間宗伸師範代(59)も出演。2人がそれぞれ立礼台での道具組も披露した。

 若宗匠の頭の中に、ウェブ講習会のアイデアは前々からあった。茶席や稽古だけでは伝えきれない部分があるのではないか、これまでにない伝え方や学びの場があってもよいのではないかと考えていたのだ。そこへコロナという制約が加わり、実施に踏み切ったのだ。

 「一番心配したのはネットのシステムがうまく機能するかどうか。問題なく開催でき、ほっとしました」

 受講者のアンケートを吟味し、次回のテーマなどを検討。年内にもう1、2回開きたいと考えている。

 文・林仁志編集委員、写真と動画・高橋洋史、宮原滋。 


【武家茶道 新たな時代へ】上田宗箇流若宗匠の1年

 <1>歴史の重み
 <2>来し方行く末
 <3>年越しの茶事
 <4>宝の数々
 <5>慌ただしい日々
 <6>桜に託す思い
 <7>流祖をしのぶ
 <8>夏の装い
 <9>妙味発信
 <10>ヒロシマと向き合う
 <11>早朝のもてなし
 <12>追慕の野点

この記事の写真

  • 原爆犠牲者に献じる茶を手にする若宗匠。冥福をひたすら祈る
  • 供養式が始まるのを待つ宗冏家元。胸中にはさまざまな思いが去来する
  • 清風館(奥)での供養式を終え、宗冏家元(手前)とともに慰霊碑に向かう
  • 原爆犠牲者を悼み供養会が建てた碑。慰霊の文字は上田家第15代の宗源家元が揮毫(きごう)した
  • 門弟向けに始めたウェブ講座で福間師範代(奥右)と意見を交わす。新たな学びの場にと期待する

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