コラム・連載・特集

新聞も呼吸する

2020/10/15 6:39

 署名記事を見つけた知人から掛かる言葉が変わってきた。「読んだよ」「出とったね」にも増して「見たよ」が目立つ。笑顔を返しつつ、心は曇る。「見たよ」には何か、認め印を押されただけの語感があるからだ▲仕事柄、紙面を読み込むのが習い性となっている。ネット画面で次から次から記事を「見る」感覚に不慣れなこともあるのだろう。とはいえ情報社会は、せわしない。「読む」に割ける時間など限られる人も多かろう▲きょう始まる新聞週間の標語入選作にある。〈僕が読むのは紙じゃない 世界だ〉。要は「読む」か「見る」かではないのかもしれない▲目に障害がある人のように、朗読奉仕などの力を得て新聞を「聴く」人がいる。日課として小欄を「書き写す」読者がいる。授業で使う学校もあると聞く。耳になじまぬ、あるいは筆が止まる表現はないか。教室で話の種にできるか…。案じては原稿を声に出して読み返し、書き直す。息を吸って、吐くように▲そう考えれば、「見たよ」の声だって、読者との間の呼吸にほかなるまい。「で、どう思った」と糸口にすればいい。きょうの紙面には、どんな声が返ってくるだろう。新聞の呼吸は続く。

  • 前の記事へ
  • 次の記事へ

 あなたにおすすめの記事

天風録の最新記事
一覧