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【ヒロシマの空白 被爆75年】理研が遺骨引き渡し 原爆犠牲者の28点、広島市へ

2020/11/12
見つかった遺骨や入っていた封筒について広島市の杉浦部長(右)に説明する理研の下山田室長(撮影・高橋洋史)

見つかった遺骨や入っていた封筒について広島市の杉浦部長(右)に説明する理研の下山田室長(撮影・高橋洋史)

 ▽名前判明の遺族を探す

 理化学研究所(理研、本部・埼玉県和光市)は12日、米軍の原爆投下直後に調査のため広島入りした当時の理研の仁科芳雄博士(1890〜1951年、岡山県里庄町出身)の関連資料から見つかった原爆犠牲者の遺骨を広島市に引き渡した。市は近く原爆供養塔(中区)に納め、名前が分かる遺骨の遺族を探す。

 遺骨は、薬包紙に包まれるなどした骨片7点と骨粉21点。この日、遺骨が入っていた封筒やメモ書きとともに報道陣に公開された。東京都内の旧理研の建物が解体されるのに伴い、資料整理していて昨年1月に見つかった。仁科記念室として保存されていた仁科氏の生前の執務室の引き出しの中に「原爆被災者のお骨(広島で採取)」と書かれた箱があったという。

 この日、理研の下山田ちはる広報室長たちが市役所を訪れ、市原爆被害対策部に引き渡した。下山田室長は「名前が分かるものは遺族のもとにお返しし、名前の分からない人も原爆供養塔に納めていただき、安らかに眠ってほしい」と述べた。

 原子物理学者だった仁科氏の理研の研究室は、旧陸軍の依頼で原爆開発研究を試みた。米軍の原爆投下後、仁科氏は大本営の調査団に加わり、被爆2日後の8日に広島入り。理研の別の研究者も陸軍省の広島の調査班に加わっている。理研は、放射能を測定するために得たものを東京に持ち帰ったと推定している。

 何人分の遺骨かは不明だが、市は封筒やメモ書きから4人の名前を確認。うち2人は「キの内藤四郎」さんと「道原菊馬」さん。残る2人は「伊勢岡」さんと「里井」さんで、名字しか分からないという。

 市は、遺骨を近く平和記念公園(中区)の原爆供養塔に納め、ほかの資料の保存は原爆資料館(同)と検討する。市原爆被害対策部の杉浦信人部長は「名前が分かる遺骨を遺族のもとにお返しできるよう手を尽くしたい」と話している。市原爆被害対策部調査課Tel082(504)2191。(水川恭輔)

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  • 薬包紙に包まれた遺骨。「伊勢岡」さんのものとみられる

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