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【ヒロシマの空白 被爆75年】亡き兄へ「お帰りなさい」 理研が調査、道原菊間さんの遺骨 廿日市の遺族受け取り

2020/12/8 23:40
原爆供養塔の前で、兄の道原菊間さんの遺骨を抱き、「古里のお墓で安らかに眠ってほしい」と話す岩田さん(右)と長女の河野さん(撮影・藤井康正)

原爆供養塔の前で、兄の道原菊間さんの遺骨を抱き、「古里のお墓で安らかに眠ってほしい」と話す岩田さん(右)と長女の河野さん(撮影・藤井康正)

 「お帰りなさい」―。廿日市市に住む岩田キヨ子さん(83)が8日、平和記念公園(広島市中区)の原爆供養塔に安置されていた兄の道原菊間さん=吉和村(現廿日市市)出身=の遺骨を受け取った。遺骨は、広島市が理化学研究所(理研、本部・埼玉県和光市)から11月に引き取り、遺族を捜していた。

 遺骨は昨年1月、都内の旧理研の建物で見つかった。被爆直後の広島に入った調査班が東京に持ち帰ったとみられる。袋には「道原菊馬」と記されていた。一方、陸軍兵だった菊間さんは1945年8月6日、米軍による原爆投下で被爆し、収容先の広島第一陸軍病院宇品分院で同月31日に18歳で亡くなったとの記録が残る。さまざまな資料を調べた市は、遺骨は菊間さんのものと結論付けた。

 この日、岩田さんと長女の河野美記さん(59)=廿日市市=が供養塔を訪れ、管理している広島戦災供養会の畑口実会長から納骨袋に入った遺骨を受け取った。岩田さんは「どれほど苦しかったでしょう…。やさしかった兄に『お帰りなさい』と伝えたい。今晩、自宅で一緒に過ごした後、古里吉和のお墓に納めます」と目を細めた。

 市への調査依頼の手続きを担った河野さんは「親孝行ができ、家族の戦争被害について新たな事実も知ることができた」と話す。岩田さんの一番上の兄で、太平洋戦争の激戦地パラオで犠牲となった海軍兵の輝夫さんの遺骨は今なお手にできておらず、今回の遺骨返還をきっかけに手掛かりを捜したいという。

 供養塔の遺骨の返還は2017年11月以来。市は理研から引き取った28点の遺骨のうち名字と名前が分かる「キの内藤四郎」さんを含め、名前が分かりながら引き取られていない815人の名簿を公開。遺族を捜している。市調査課Tel082(504)2191。(水川恭輔)

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