【ヒロシマの空白 被爆75年】貴重な資料劣化に危機感 放影研と原医研、共同活用へ
放射線影響研究所(放影研、広島市南区)と、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研、同)が資料の保存・公開で連携する背景には、貴重な文書の劣化に対する危機感がある。未解明の原爆被害の実態や戦後の埋もれた歴史に迫るには、様々な資料を守り、新たな視点から研究することが欠かせない。日本政府には、後押しが求められる。
▽政府の後押し不可欠
放影研が持つ紙資料は1千万枚以上と推定される。研究の歩みが分かる古い刊行物をはじめ、前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)の医師が米国での翻訳出版に協力した、元広島逓信病院長の故蜂谷道彦さん著の体験記「ヒロシマ日記」(1955年刊)の関連資料など多岐にわたり、多くが劣化している。
原医研は、被爆直後の45年9月に広島で活動した京都大調査班の被爆者の健康調査票、73年に米陸軍病理学研究所(AFIP)から返還された医学資料などを所蔵。放射線被害に関わる貴重な資料が多くある。
原医研付属被ばく資料調査解析部の久保田明子助教は、両者以外の様々な場所に残る被爆関連文書の現状にも危機感を抱く。「破損、汚損、酸化など紙の状態に応じた保存措置を講じなければ朽ちていく」
今回、両者が保存へ連携するのは歴史資料。被爆者のカルテなど個人情報の厳重な管理が必要な研究資料については、放影研が独自に設ける「研究資源センター」でデジタル保存、管理する準備をしている。
資料の劣化対策を求める声は、長年あった。日本学術会議は71年、被爆資料の体系的収集・保存・整理を「国家的急務」と国に勧告。2002〜03年、両被爆地に原爆手記と遺影を集める国立原爆死没者追悼平和祈念館が開館したが、医学面の調査・研究資料などの整理は立ち遅れている。
国内外の研究者からは「どこに、どんな資料があるのか分かりにくい」との声が漏れる。様々な機関に点在する資料を横断的に調べられるネットワークの構築は課題だ。政府には、被爆地の研究機関や行政とともに被爆実態に関わる資料の保存・活用へ積極的な取り組みが求められる。(水川恭輔)
広島市は22日、理化学研究所(理研、本部・埼玉県和光市)から昨年引き渡された原爆犠牲者の遺骨のうち、名字を確認していた「伊勢岡」さんの遺族が判明したと発表した。遺族の意向で名前などは公表していない。...
木造家屋が並ぶ一角で、洋風の建物が目を引く。広島市雑魚場町(現中区国泰寺町)にあった日本基督教団広島南部教会。爆心地から約1・2キロで壊滅した。外観を捉えた写真で確認されているのは、この一枚だけだ。...
広島市中区の流川・薬研堀周辺は戦前、盛り場や商店、遊郭が並ぶにぎやかな一角だった。原爆で焼け野原となった後、復興が進む中でネオン街へと変貌した。ゆかりの人から寄せられた写真を通し、街の記憶をたどる。...
「愛国婦人会」ののぼりを立てた着物姿の女性たちが、日の丸を手に並んでいる。満州事変から1年余り後の1933年1月、中国大陸から宇品港(現広島港、広島市南区)の軍用桟橋を渡って帰還した兵士たちを出迎え...
▽欠かせぬ長期解析 原爆のさく裂時に大量の放射線を浴びてはいない「黒い雨」の経験者や入市被爆者も、健康被害を訴えているのはなぜなのか。長年、放射性物質を体内に取り込む内部被曝(ばく)の可能性が指摘さ...