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コロナ禍の年初に 足元から政治変えよう

2021/1/1 6:00

 新たな年が幕を開けた。いつものような高揚感を欠くのは、新型コロナウイルスの感染拡大に全く歯止めがかかっていないせいだろう。例年と違う年末年始を強いられている人が多いのではないか。

 人に会い、移動することが、コロナ禍で大幅に制限されている。それでも、そんな不自由さの中に、人の温かさや家族の絆を改めて実感した人もいるだろう。

 ▽揺らぐ民主主義

 まだ先のことかもしれないが、収束後に向け、読者の皆さんと共に考え、行動したい。まずはコロナ禍で浮かび上がった「宿題」に向き合う必要がある。例えば、後を絶たない「政治とカネ」の問題で、土台が激しく揺さぶられている民主主義の在り方である。

 19世紀フランスの政治思想家トクヴィルは、当時は新興国だった米国の政治を分析した著書「アメリカのデモクラシー」で、こんな指摘をしている。王政時代、つまり民主主義以前の欧州各国の社会に、不平等と貧困はあったが、精神の退廃はなかった、と。

 今の日本はどうだろう。元農林水産相の現金受け取り疑惑が先月発覚するなど、政治家の退廃が進んでいるようで不安になる。まず政治家が襟を正すべきである。

 ただ私たち有権者も問われている。近年の国政選挙で、民主主義の根幹となる投票を放棄している人は有権者の半数にも上る。それが、熱心な支持者ばかりに目を向け、異論には耳を貸さない政治家を助長させてはいないか。

 その証しとも言える金権政治が足元でも、はびこっている。2019年夏の参院選広島選挙区を巡る大規模買収事件だ。河井克行元法相、妻の案里参院議員の両被告の公判を通して、カネまみれ選挙の実情が明らかになりつつある。

 ▽けじめないまま

 両被告の刑事責任は裁判所が判断する。問題は、政治家としての責任をどう果たすか、である。まっとうなカネなら、なぜ領収書をもらわなかったのか。党本部からの巨額資金は何に使ったのか。説明すべきことは山積している。

 カネを受け取った広島県内の首長や議員らも、責任は免れない。公判での弁明からモラルの欠如がうかがえる。「違法な金」と思いながらカネは趣味のパチンコや孫の買い物に使った…。

 「道義的けじめ」のため辞職した首長や議員もいる。しかし県議や広島市議は誰も辞めていない。

 こうした「反省なし」「けじめなし」は、安倍晋三前首相を見習っているのかもしれない。

 「桜を見る会」前日に自身の後援会が主催した夕食会の会費補填(ほてん)は利益供与ではないか。罰金刑ながら刑事責任に問われたのは秘書だけだった。金の出所など曖昧なまま、幕引きはできない。

 この問題を巡り事実と異なる答弁を繰り返し、国会を愚弄(ぐろう)したのに、議員辞職は拒んでいる。

 しかも、「桜を見る会」に地元後援会の人を大量に招いた「私物化」疑惑はくすぶったまま。解明しなくても、選挙に勝ったから乗り切れたと考えているのかもしれない。道義的責任すら感じないほど退廃が進んでいるようだ。

 ▽ツケが私たちに

 そのツケが今、コロナ禍で私たちに及んでいる。政府の対策の遅れは生命や健康を脅かす。雇用の場を失ったのに「公助」が届かない人も多い。観光支援事業「Go To トラベル」を楽しむ余裕のある人との格差は広がる一方だ。なぜ、本当に困っている人たちに目を向けないのだろうか。

 支持者しか見ようとしない道義的退廃が、政治家の役割放棄につながっている。看過できない。国民の声は政治を動かせることを思い起こしたい。昨年春の検察庁法改正案の成立断念や、先月のGoToトラベル一時停止などだ。

 今年は、総選挙という意思表明の機会がある。衆愚や専制に陥りやすい民主主義に、命を吹き込めるのは、主権者である私たちだけである。

 人間精神は、すべての人々が小さな力を合わせることで進歩する―。トクヴィルは、そんな指摘もしている。「民主主義は」とも置き換えられる。 

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