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【ヒロシマの空白】黒い雨、解明への道筋は<3>体験者の今 心身癒えぬ苦しみ 援護区域拡大へ闘い続く

2021/1/2 23:17
黒い雨を浴びた当時を振り返る高野さん。「みな雨が流れ込んだ谷川の水で生活していた」

黒い雨を浴びた当時を振り返る高野さん。「みな雨が流れ込んだ谷川の水で生活していた」

 爆心地の北西約20キロ、広島市佐伯区湯来町の山あいの道で、高野正明さん(82)は空を仰いだ。「学校から帰る途中、焼けた紙切れやら木切れやら、その後に黒い雨が降ってきた」。当時は国民学校分校1年生。自宅近くで雨を浴びた後、高熱と下痢、脱毛などの症状が出たという。現在はがんや白内障も患う。

 直後の下痢やだるさ、長く続く貧血に、後年のがん―。黒い雨を浴びたり、雨で汚れた野菜や水を口にした人の多くに共通する証言だ。「雨のせいとしか思えんのです」。高野さんは訴訟の原告団長を務める。

 しかし黒い雨は、どこまで降ったのかも、どのように人体に影響を与えているのかも、いずれも十分には分かっていない。

 これまでの調査では、広島での黒い雨は午前9時〜午後3時ごろを中心に降ったとされる。しかし国が援護の対象としているのは、「大雨地域」と呼ばれる長さ約19キロ、幅約11キロの楕円(だえん)形のエリアだけ。1945年、広島管区気象台(現広島地方気象台)の宇田道隆技師ら6人が被爆後の混乱の中でした聞き取り調査に基づく。

 その後、新たな調査が重ねられた。元気象研究所研究室長の増田善信さん(97)は88年、現地での聞き取りや手記の分析などから、雨はより広い範囲に降ったと発表。広島市も10年、降雨域は従来の「大雨地域」の約6倍との調査結果を報告。当時、広島大原爆放射線医科学研究所に所属していた大滝慈名誉教授が、県内約3万7千人のアンケートから、雨を体験した場所や時間を具体的に答えた1565人の回答を詳細に解析した。

 宇田技師らの調査に参加した北勲さん(2001年に89歳で死去)は、当時示した雨域を「暫定的なもの」と語った。実際、増田さんや市はより大規模な調査で新たな雨域を示したが、国は退け続けてきた。

 黒い雨による体の変調については、陸軍軍医学校が45年10月の記録を残す。雨を浴びた古江地区(現西区)の住民6人を調査。全員がだるさを訴え、脱毛、出血斑が出たという人もいた。人数が少なく「断定し難し」としつつ、雨の影響と考える事も「可能」と記した。宇田技師らも、いずれも現西区の己斐や高須で長期間にわたる下痢が「頗(すこぶ)る多数」とし、雨の流入した井戸水の影響と推察した。

 「直接被爆とは違う被爆があるはず」。4歳で雨を浴び、5年前にがんを患った谷口百合子さん(80)=佐伯区=はそう語る。訴訟には加わっていないが、国の控訴には不信を抱く。「原爆被害を、核兵器の危険を過小評価してはいないでしょうか」

【黒い雨、解明への道筋は】
<1>発生の仕組み きのこ雲から放射性物質降る
<2>新たな検証 五つの視点、課題は山積 国が検討会
<3>体験者の今 心身癒えぬ苦しみ 援護区域拡大へ闘い続く
<4>検討会委員の広島大名誉教授・鎌田医師に聞く

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