コラム・連載・特集

<10>黒潮大蛇行と貧栄養

2021/1/21 17:10

 クロマグロ編の初回で、黒潮の大蛇行が瀬戸内海に及ぼす影響について触れた。大蛇行に伴って豊後水道から流れ込む黒潮の勢いが増し、ヨコワ(クロマグロ幼魚)が瀬戸内海に入ってきたのではないかとの推測である。

 黒潮が紀伊半島のはるか南を流れる大蛇行時には紀伊水道付近の水位が下がり、豊後水道から瀬戸内海西部への流入圧力が強まる。逆に黒潮が紀伊半島に向けて直行するときは紀伊水道の水位が上がり、瀬戸内海東部への流入が優勢となる。黒潮を遮る突起として足摺岬より紀伊半島の方がはるかに巨大だからこうした流入傾向になるのだろう。

 黒潮大蛇行は1990年代初めまで度々発生していた。それ以降は2004年7月〜2005年8月に起き、厳島神社の回廊が何度も漬かった。直近の黒潮の大蛇行は2017年8月に始まった。昨年5月頃からは豊後水道のはるか南方に遠ざかって流れることが多く、秋からは収束と再開の傾向をくり返している。

 長期に及ぶ今回の黒潮大蛇行は、瀬戸内海の西部の漁業に大きな影響を及ぼしている可能性がある。黒潮は海の生物生産を促す窒素やリンなど栄養塩が少ない海流である。黒潮流入→海域の栄養塩減少→漁獲不振というサイクルを招いても不思議ではない。

 栄養塩が減ると一般に海の透明度が増す。潜水取材を続けてきた同僚の高橋洋史カメラマンは「大蛇行中は絵の島(厳島の東端沖)近くの海中でも10メートル先まで見えた。以前は4、5メートルだったのに」と言い、広島湾内も驚くほどきれいになったようだ。

 海中の栄養塩濃度はどう変化しているのだろうか。広島県水産海洋技術センターは県内の19海域で毎月、水質を調査している。その中でも河川水の影響を受けにくい沖合では窒素、リンの濃度が下がっているもようだ。

 沖合に位置する阿多田島と大黒神島間の広島湾(A)、豊島南方の安芸灘中央(B)の2カ所について、黒潮大蛇行前の16年と大蛇行中の19年のデータを比べてみた。対象にしたのは海面が冷やされて海水が上下に混ざり合う1〜3月、10〜12月の6カ月の海面の水質である。

 19年の数値を16年に比べてみると、A海域の窒素濃度は4割余り、リン濃度は約1割の減少、B海域では窒素濃度は2割余り、リン濃度は2割近い減少となっていた。限られたデータ比較だが、明らかに栄養塩は少なくなっている。

 海域の環境基準は窒素0・3mg/リットル以下、リン0・03mg/リットル以下だが、窒素の測定値はその4分の1、リンは半分程度しかなかった。きれいではあるが、植物プランクトン→動物プランクトン→小魚への食物連鎖が進みにくい貧栄養の海といえよう。

 漁業の取材をしながら、ここ3、4年の漁獲傾向が瀬戸内海の西部と東部で違うことが気になっていた。例えば、西部はタチウオが極端に取れなくなったのに対し東部は以前と大きく変わらない▽岡山県内のサワラ漁は備讃瀬戸の東側は回復したが西側は振るわない―などである。

 瀬戸内海西部でも錦川河口の岩国沖はいろんな魚が取れているが、河川水があまり流入しない安芸灘では「海がおかしい。イカもタコも底引き網のエビもみんな取れんようになった」との漁業者の声を聞いた。大蛇行で黒潮が勢いよく流れ込むようになった影響を疑わざるを得ない。

 黒潮の蛇行と直進が瀬戸内海の流れに及ぼす影響は2008年、広島大大学院工学研究科の研究者たちが論文にまとめている。しかし、それが漁業にどんな影響を与えているかについての研究は見当たらない。成果に直結するようなテーマではないからだろうか。

 日本近海での黒潮の流れ方は、北太平洋の気候変動が影響しているといわれる。昨年5月以降に黒潮が豊後水道から南方に遠ざかった流路変更が関係しているのか、最近では広島湾の透明度もかつてほど高くはないようだ。このまま黒潮大蛇行の収束となれば、瀬戸内海西部への黒潮の流入量減少→栄養塩の増加→漁獲回復という期待が持てるかもしれない。

漁・マダコ編を1月26日から始めます。

この記事の写真

上記の写真をクリックすると拡大して表示されます。

  • 次の記事へ

 あなたにおすすめの記事

「漁」余話の最新記事
一覧

  • <10>黒潮大蛇行と貧栄養 (1/21)

     クロマグロ編の初回で、黒潮の大蛇行が瀬戸内海に及ぼす影響について触れた。大蛇行に伴って豊後水道から流れ込む黒潮の勢いが増し、ヨコワ(クロマグロ幼魚)が瀬戸内海に入ってきたのではないかとの推測である。...

  • <9> アナゴとハモ (11/18)

     「漁」シリーズを始めて間もない頃、記事の問い合わせに答えようと読者に電話を入れた。相手は水産行政に携わっていた人と分かり、魚談義に発展した。瀬戸内海でアナゴが減り、ハモが増えたことも話題になった。そ...

  • <8> 所変わればイカの名も (10/5)

     防府市向島の底引き網漁船に乗ってハモ漁を取材した際、さほど多くはないが「ネブト」が網に乗った。備後地区ではとりわけ好まれる小魚で、居酒屋の突き出しに唐揚げや南蛮漬けが出てくる。ところが防府の漁師さん...

  • <7> 生涯現役 (8/18)

     「漁・海藻編」を掲載中に「高齢の漁師さんがおってじゃねえ」との声が少なからず当方に寄せられた。大田市で天然ワカメを刈って水産加工会社に出荷する雀堂千尋さん(80)、天然ワカメを干して板ワカメにする越...

  • <6> 袋競りとコロナ (4/27)

     よく行く近所のスーパーで最近、トラフグ刺し身の1人前パックが400円台で売られていて驚いた。養殖物でもかつてない特価だろう。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、高級魚トラフグの取引値は3割も下...