【写真ルポ】東日本大震災10年 岩手編
東北地方を中心に壊滅的な被害を出した東日本大震災から11日で10年になる。震災発生の直後、津波に襲われた岩手、宮城両県の被災地4市に入り、街の惨状や避難所で支え合う被災者の姿をカメラに収めた。「遠くの私たちも忘れまい」と、震災翌年にも訪ねた地。節目を前に再訪した。さまざまな思いを胸に復興への長い道のりを歩む人々に出会い、災害を後世に伝えようとするいまを見つめた。(宮原滋)
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【陸前高田市】「一本松」の脇 そびえる防波堤


「奇跡の一本松」で全国に知られた陸前高田市。震災直後の取材で、津波に全てをさらわれた光景に立ち尽くした。高台の中学校の避難所では老若男女が肩を寄せ、連絡の取れない肉親や知人の無事を願いながら支え合っていた。


10年たった陸前高田は、大規模なかさ上げで新しい幹線道路が延び、宅地も造成されていた。広田湾を望む海岸は高田松原津波復興祈念公園として整備が急ピッチで進む。景勝地だった高田松原の白浜沿いには、高さ12・5メートルの防潮堤が約2キロに渡って築かれた。地元ではかつての松原を復活させようと「一本松」の種から苗木を育てて白浜に植える取り組みが続く。計画では光市など全国からの苗木も含めて約4万本で緑を広げる。

仮設住宅で7年暮らした大内多希子さん(79)に再会した。震災翌年に話をうかがって以来。あの日、夫の正典さん(2013年死去)と高台へ車で避難し、直後にわが家は津波にのまれた。間一髪で助かったのは荷物を取りに戻らなかったから。大内さんが手にしていたのは花のポット2個。自宅へ戻った人は皆、亡くなった。「一緒に逃げていれば」と悔やむ。


17年まで暮らした仮設住宅での生活は楽しい事もたくさんあった。「顔見知りが一緒だから、つらくなかった」と振り返る。震災の年の11月、孫の七五三に合わせて一緒にめかし込んで撮った家族写真が宝物だ。息子家族と高台で暮らし、孫も高校生になった。失われた思い出を紡ぎ直す大切な日々。「みんなに支えてもらったから返さないとねえ」と笑顔で先を見据える。
高田の地域コミュニティー活動に取り組む「マルゴト陸前高田」の代表、伊藤雅人さん(38)は長年、被災体験を語る中で感じてきた。「苦しみや悲しみを伝えるだけでは人の心に残らない」。楽しい場所、人と人がつながる町を目指して力を注ぐつもりだ。

【大船渡市赤崎町下蛸ノ浦】コンクリート壁の入り江「波や風が感じられない」
三陸海岸沿いの港町に建設された防潮堤は港の風景を一変させた。大船渡市赤崎町下蛸ノ浦。入り江を囲むようにコンクリート壁がそびえる。地元の漁業者たちは「波や風を感じられないが仕方ねー」と複雑な表情だ。4日、大船渡魚市場に春を告げるイサダの水揚げが始まった。厳しい冬をまた越して、港町の復興のつち音は続いている。



※下をクリックすると、それぞれのデジタルアルバムへジャンプします。投手'>(1)投手 捕手'>(2)捕手内野手'>(3)内野手 外野手'>(4)外野手<捕手>1軍・4月12日現在※「デジタルアルバム」...
※下をクリックすると、それぞれのデジタルアルバムへジャンプします。投手'>(1)投手 捕手'>(2)捕手内野手'>(3)内野手 外野手'>(4)外野手<外野手>1軍・4月12日現在※「デジタルアルバム...
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