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戦時下の女性記者 原爆報道の原点担う【ヒロシマの空白】口伝隊1945年8月<上>

2021/4/4 23:05
原爆による広島壊滅の翌1945年8月7日の中国新聞社。奥は臨時県庁が置かれた東警察署。中国軍管区司令部報道班員だった岸田貢宜さん撮影(孫の岸田哲平さん提供)

原爆による広島壊滅の翌1945年8月7日の中国新聞社。奥は臨時県庁が置かれた東警察署。中国軍管区司令部報道班員だった岸田貢宜さん撮影(孫の岸田哲平さん提供)

 ▽異常知り自力で入市

 1945年8月6日の原爆投下で広島は情報機能も壊滅的な打撃を受けた。県内で唯一出ていた中国新聞は本社が全焼し、犠牲者は114人に上る。生き残った記者たちは「口伝隊(くでんたい)」として肉声で被災情報を伝えて回った。ヒロシマからの原爆報道の始まりである。

 口伝隊について、原爆体験者が健在だった56年発行の「中国新聞六十五年史」は、中国軍管区司令部の要請で壊滅の翌日に編成とする。「ペンと紙ならぬメガホンを片手に声をからし、トラック上からニュースを流した口伝隊員は…」と男性社員3人の名前に続いて「八島ナツヱ」と記す。

 口伝隊の女性記者とみられる写真が、朝日新聞西部本社版45年8月10日付に載っていた。広島市内で撮影という写真には、「優しい声で戦災者を励ます女子報道班員」の説明が付く。福岡県小倉市(現北九州市)から取材陣が入っていた。

 ■45年、整理部所属
(ここまで 391文字/記事全文 1302文字)

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