生きて

<1> 尾道帆布 60歳すぎてNPO設立

生きて 工房おのみち帆布元理事長 木織雅子さん(1939年〜)2021/4/6 9:00
尾道のブランド力がこの店を生み出した(工房おのみち帆布で)

尾道のブランド力がこの店を生み出した(工房おのみち帆布で)

 家船(えぶね)の子どもたちが暮らす尾道学寮の保育士に始まり、専業主婦から喫茶店主を経て、60歳をすぎてNPO法人工房おのみち帆布を立ち上げた木織雅子さん(81)。70歳直前には尾道市商店街連合会の会長も引き受け、傘寿を超えたこの2月には孫娘と喫茶店を再出発させた。バイタリティーあふれる人生は故郷尾道への愛と、ユーモアが原動力だ。

    ◇

 工房おのみち帆布は2019年には年商1億円近くまで成長した。尾道の商店街でも抜群の人気を誇る

 帆布は港町尾道の象徴のような存在です。ところが、それを織る工場はすでに尾道には1社しかない。しかも、織機は昭和の「超高齢」のものを修理しながら使っているんですよ。経済団体の視察で向島にある工場を見学して初めて知り、がくぜんとしました。何とか工場を残せないか、応援できないかというのがNPO設立の原点でした。

 60歳での手習い。製品を作り、店で売る世界に初めて飛び込んだ

 まあ、なんとかなるさと(笑)。でもね、私の周りはみんな尾道ブランドに強い誇りを持っているんですね。知り合いの尾道大学の先生や学生たちがタグなどのデザインづくりにも協力してくれました。今の店も学生さんたちの協力で床や壁を仕上げ、スタートしたんです。私がやるのではなく、NPOのみんなで挑戦するわけだから年齢は気になりませんでした。なんとかなるもんです。

 70歳直前には尾道市商店街連合会の会長にも就任。女性初でもあった

 夢にも思わなかったし、周りもそうだったと思いますよ。実家が商いをやっていたわけでもなく、帆布を始めるまでは商店経営の経験もなかったわけですから。そんな私に大役が回ってくるのは、老舗が並ぶ尾道の商店街でなくても異例のこと。さすがに荷が重かった。だけど、商店街は商都尾道の顔。尾道というブランド力を結集すれば何とかなるのではと思いました。今はコロナ禍で我慢の時期ですが、観光客は尾道にきっと戻ってきてくれるはずです。(この連載は論説委員・吉村時彦が担当します)

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