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「核兵器」司法判断25年 国際法違反、今や明白だ

2021/7/9 6:41

 「核兵器の使用と威嚇は一般的に国際法に違反する」。画期的といわれた勧告的意見を国際司法裁判所(ICJ)が出して、きのうで25年になった。

 被爆地にとっては、物足りなさが残る内容だった。国家存亡に関わる状況下での自衛に関して、核兵器の使用が「違法か合法か結論は出せない」と明快な判断を避けたからである。核兵器を持つ国々に「言い訳」の余地を残してしまった。煮え切らない結論だと、被爆地が当時、反発したのも無理はなかろう。

 それでも、核兵器の違法性について国際社会が初めて示した司法判断である。今年発効した核兵器禁止条約の土台を築くことにもなった。法的な拘束力がないとはいえ、その歴史的な意味を軽んじてはなるまい。

 核軍縮は、被爆者の願う速さでは進んでいないようだ。しかし、核兵器がいかに非人道的か、被爆地の訴えは国際社会に着実に浸透してきている。

 勧告的意見にも、被爆地の声が反映されている。広島、長崎の両市長は陳述で、いかなる場合でも核兵器は国際法違反だと訴えた。米国の「核の傘」に依存する日本政府の圧力にも屈することなく、堂々と主張した。

 平岡敬広島市長は、他のどんな兵器より核兵器は残酷で非人道的だと指摘した。伊藤一長・長崎市長は、原爆で黒焦げになった少年の写真を示し、罪なき子どもたちの犠牲を強調した。

 こうした被爆地の訴えとそれに共鳴する多くの国や市民、非政府組織(NGO)の後押しがあったからこそ、限界はあるものの、評価に値する勧告的意見を引き出せたのではないか。

 核兵器の非人道性について、ICJという国際司法の場に判断を迫ることができたのも、被爆地と国際NGOなどとの連携が原動力となっていた。

 さらに、4年前に採択された核兵器禁止条約という実も結んでいる。使用や威嚇だけではなく、保有や開発まで含めて禁じており、いかなる場合でも核兵器が国際法違反だという段階にまで達している。勧告的意見の限界を突き破り、被爆地の長年の訴えを形にしたと言えよう。

 核兵器禁止条約は、保有国による「妨害」があったにもかかわらず、今年1月、発効にこぎ着けた。人類の未来に核兵器は必要なく、むしろその存在は地球環境にとっても害悪であろう。そんな考えから核なき世界を求める人たちは今や、国際社会で多数を占めている。その証しが、禁止条約だろう。

 冷戦終結に伴い、米国とロシアは核兵器を大幅に減らした。それでもまだ、人類を何度も絶滅できる量が地球上に存在している。偶発的事故や人間の引き起こすミスなどによって核兵器が使われるリスクは、廃絶しない限りゼロにはならない。

 核戦争には勝者がいないことを米ロの指導者は先月、再確認したばかりだ。それなら、核なき世界を目指す輪に加わるべきではないか。核兵器保有という自分たちの「特権」にあぐらをかき続けることは許されない。

 「核の傘」に依存している日本政府も保有国と同様、地球規模の視野を欠いている。核なき世界の実現に向け、核兵器禁止条約に署名、批准することが、なぜできないのか。まずは真剣に被爆地の訴えに耳を傾けなければならない。

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